そして、「我々は中国を(武力で)打ち負かすことはできない」と述べて、中国に軍事力で対抗するよりも中国と交渉を続ける方が賢明だと強調した(フィリピン通信、2019年4月22日、著者訳)。
「スカボロー礁事件」では、フィリピン海軍の艦船が中国漁船を拿捕したことに端を発して、フィリピン沿岸警備隊の公船と中国海監(現在の「海警」)などの公船が1カ月以上にわたり海上で睨み合いを続けた。アメリカは元々予定されていたフィリピン軍との共同訓練を実施したほかは介入せず、最終的にフィリピン側が公船を引き揚げたことで、中国がスカボロー礁を実効支配することとなった。
これに対しフィリピンは、中国も批准している国連海洋法条約に基づきオランダ・ハーグの仲裁裁判所に提訴する。同裁判所は2016年7月、中国が南シナ海における主権や海洋権益を主張する根拠としている独自の9つの境界線「九段線」について、「国際法上の根拠がない」と裁定した。
ドゥテルテ大統領は、この判決を背景に中国の習近平国家主席とのトップ会談に臨み、領有権争いの決着を事実上棚上げすることと引き換えに、フィリピンの漁民がスカボロー礁周辺海域で漁を行うことを中国に認めさせた。
中国との領土問題を軍事力によって解決できない以上、いたずらに軍事的に対抗して緊張を高めるのではなく、外交交渉によって実利を得ようというのがドゥテルテ大統領流の「リアリズム」なのである。
同盟に依存しすぎず、自主的多角的な外交を展開
日本では、フィリピンのVFA破棄を「アメリカのこの地域における軍事プレゼンスを弱め、中国を利する行為」と評価する向きがあるが、これは正しくない。
「アメリカにつくか中国につくか」という単純な二元論に立てば、アメリカと距離をとろうとするフィリピンは中国に近付いているという評価になるのだろうが、ドゥテルテ政権が目指しているのはフィリピンの安全と国益にとって最適なポジショニングであり、その最大の眼目はアメリカと中国という二つの超大国の戦争に巻き込まれないことにある。そのために、アメリカの同盟国でありながらもアメリカに追随するのではなく、独立した外交を展開しようとしているのだ。
フィリピンのロレンザナ国防相は2019年3月、南シナ海での中国との戦争の誘発を回避するために、アメリカとの同盟関係を見直すべきだと発言した。ロレンザナ国防相は、米軍が中国の海洋進出をけん制するために南シナ海での航行を増やしていることが武力衝突の危険性を高めていると懸念を表明し、「私が心配しているのは、(アメリカの)保証がないことではない。我々が求めても欲してもいない戦争に巻き込まれることだ」と語った(ニューヨーク・タイムズ、2019年3月5日、著者訳)。
米中の戦争に巻き込まれないようにするというのは、フィリピンだけでなく、ASEAN(東南アジア諸国連合)全体が目指していることだ。ASEANは2019年6月の首脳会議で採択した「インド太平洋構想」という独自の外交指針において、米中の覇権争いを念頭に「競争ではなく、対話と協力のインド太平洋地域」を創り出すべきだとし、利害で対立する大国の間に入って「誠実な仲介者」の役割を果たすと宣言した。
この構想を実現するためのツールの一つが、「ASEAN地域フォーラム(ARF)」である。ARFは、この地域の安全保障環境を改善するためにASEANが1994年につくった多国間対話の枠組みで、アメリカ、中国、ロシア、インドといった域外の大国も巻き込んで紛争の予防と平和的解決のメカニズムを構築しようと努力を重ねている。大国間の戦争に巻き込まれないために、戦争を予防する対話の枠組みに大国を逆に巻き込もうとしているのである。
フィリピンは、独自の外交とともに、こうしたASEAN外交の一翼も担っている。これが「日米同盟一辺倒」の日本とは大きく異なるところだ。外交・安全保障が多角的で、アメリカとの同盟関係に依存しすぎていない。だから、アメリカに対しても、はっきりとものが言える。
ドゥテルテ大統領は今のところ、米比相互防衛条約や2014年に締結した「防衛協力強化協定(EDCA)」も破棄してまで、アメリカとの同盟関係自体を解消しようとまではしていない。VFAは破棄したが、これに代わる新たな協定を、よりフィリピンに有利なかたちで結ぶことになるかもしれない。いずれにせよ、今後も、アメリカとの関係をフィリピンの独立性をより高める方向に持っていこうとするに違いない。
米国務省の諮問委員会が2015年にとりまとめた「地位協定に関する報告書」でも、「受入国が米軍の駐留にやむを得ない必要性を認めている場合は地位協定の交渉はアメリカに有利となるが、主権侵害に対する懸念の方が米軍駐留の必要性への認識を上回る場合には問題が生じる」(著者訳)と記している。
日本も、締結から60年間一度も改定されていない日米地位協定の抜本改定を実現するには、「日米同盟一辺倒」の外交・安全保障を見直し、フィリピンのように自主性を高め、より多角的に改める必要があるだろう。