――そうすると、以前のような文法重視の英語教育に戻すべきだということでしょうか。
いえ、そうではありません。現在の英会話重視も極端ですが、かといって文法至上主義になれということではありません。昔ながらの、英文を細かく解剖していくようなややこしい教え方では、デジタル世代の子どもたちは受け付けないでしょう。今の学習指導要領にあるように「実際のコミュニケーションにおいて活用」するということを念頭に、生徒たちに英語を使わせながら、「こういうとき、ここに主語が来て、この場合は昔の話だから動詞は過去形になる」などをわかりやすく教える工夫が必要です。
ただし、基本的なことをきちんと教えるには、会話だけではなく、やはりある程度まとまった、良い英文を読ませることが欠かせません。「読む」「聞く」「話す」「書く」は別々に存在しているわけではなく、それぞれが互いに関係し合っています。先ほどTOEFLに関連して少し述べましたが、特に読解力は英語のすべての技能の土台です。読んでわからないものは聞いてもわからないし、聞いてわからないものは話すことも書くこともできません。読むことで英語の組み立てや使い方、単語や語句を勉強し、単語の意味を調べるときに発音も学べば、聞くとき話すときに役立ちます。読むときには、英文の意味を考えながら、できるだけ声に出して読むのがいいですね。
日本のように英語が母語ではない国で生まれ育つ場合、読めない英語を話すことはできません。「子どもは読めなくても話せるのだから、まずは早くから会話を」と言う人もいますが、「お子さま英語」は大人になったら使いものにならないのです。
「敬語がある日本語と違って、英語はフランクな言葉だから、“タメ口”でもいい」という誤解もありますが、とんでもありません。どの言語にもくだけた表現と、目上の人に対して、あるいは仕事で使う丁寧な表現があり、もちろん英語も例外ではありません。でも私が見る限り、日本人でこうした丁寧な英語を使いこなせている人は極めて少数です。「自分は英語が得意で、商社に入って英語を使う仕事を選んだ」という人が、親しくなった英語ネイティブから「おまえの英語は失礼すぎる。外国人であまり英語ができないから仕方ない、と許されているけれど、もう少し丁寧な表現を勉強しろ」と注意されたという話も聞きます。
社会人として、きちんとした英語を使える人はどこが違うのかといえば語彙の豊富さで、それは読むことで身につきます。中身のない薄っぺらな英語ではなく、自分の考えや主張を英語で相手に伝えることができる人は相当に英語を読んでいるはずです。
「グローバル社会を生き抜くには英語」とは限らない
――「お子さま英語」は使い物にならないということですが、近年、日本では小学校での英語教育も進められています。早くから英語を学ぶことは、日本人の英語力向上に役立っていないのでしょうか。
今、小学校どころか幼稚園から英語を学ばせる、あるいは小さい頃から英語の塾に行かせたり高い教材を買ったりする風潮が強まっています。しかし、早くからやればいい、ネイティブスピーカーの英語を聞かせればいいというものではありません。小学校で英語を教える条件が整備されていないという問題も大きいですが、小学校では英語が得意でも、中学に入ったらついていかれなくなるという子どもも少なくありませんし、小学校で英語の成績が悪い子は、中学入学の段階で劣等感を抱えてしまっています。小学校での英語教育によって英語嫌いの子が増えている、というのが私の印象です。
子どもたちは、親からも先生からも「グローバル化社会を生き抜くために英語は必須」と言われ、英語で良い成績を取らなければと、大きなプレッシャーを感じています。けれども、なぜ英語だけが特別扱いされるのでしょうか? 私は英語が好きだった一方、数学がとても苦手でしたから、中高時代に「これからは理系の時代だ、数学は必須だ」と言われていたら、つらかったと思います。英語がたまたま好きで得意な人が受験で得をし、そうでない人は不利な目に遭うというのは、不公平ではないでしょうか。
――とはいえ、英語は入試でも鍵となる科目ですし、やはりグローバル化社会を生き抜くためには英語が必要なのではないでしょうか。
「グローバル化社会には英語」とは、必ずしも言えないと思います。グローバル化が進んでいるはずの現代の日本社会で、日常的に英語を使う日本人はどれだけ増えたでしょうか。一時期、一部企業で英語を社内公用語にしたり、就職試験や昇進試験でTOEIC(Test of English for International Communication)の点数を重視したりする動きがありましたが、「英語はできるけれど、商談がまとめられない」というケースが相次ぎました。このため最近では仕事の能力重視に回帰し、英語が必要な仕事は通訳・翻訳の専門家を正規に雇用して任せるという方向に変化してきています。特にグローバルな製薬会社や企業などでは社内に通訳翻訳室を設けています。観光業でも、日本を訪れる外国人の多くは中国、台湾、韓国を中心とするアジア系ですから、中国語や韓国語などができる人材を求めています。また、日本に増えているアジアや中東、南米諸国からの労働者に対しては、英語よりも彼らの母語や、「やさしい日本語」 でのコミュニケーションが有用です。
グローバル化社会はけっして英語一辺倒ではなく、むしろ多言語多文化社会です。英語が苦手なら、別の外国語に挑戦したり、他の得意科目で挽回したりすればいいと思います。私が子どもたちに伝えたいメッセージは、「英語だけで人生は決まらないから、安心しなさい。自分らしく生きなさい」です。
機械翻訳や音声変換の技術が進み、日本の学校で教えている自己紹介や道案内のようなパターン化した英会話は、自動通訳機やスマホのアプリで、ほとんどできてしまいます。そんなものに小・中・高の12年間、大学まで含めれば14〜16年間にわたってエネルギーをかけるより、もっと自分のやりたいことに時間を使い、得意なことを伸ばしていけばいいのではないでしょうか。「自分は物理が好き」という生徒は物理を一生懸命やり、「野球を極めて、大谷翔平みたいになりたい」という子は野球をがんばる。学校の英語は得意でなくても、自分の好きなことに関わってくるとなったら、自ら進んで英語を勉強するでしょう。たとえば、英語が嫌いでも理数系が好きな生徒が研究者になったら、論文を英語で読んだり書いたりせざるをえないので、その英語力を応用すれば、学会で他の学者と話すこともできます。そうやって、自分の必要に応じて学んでいけば十分だと、私は思います。
AIが通訳する時代に英語を学ぶ意味
――これからの時代は技術が進み、AIで全部通訳できるようになるのではないでしょうか。だとしたら、英語を苦労して学ぶ意味はないと思ってしまいます。