AIでコミュニケーションの全てを通訳することはできません。人間なら誰もが常に行なっている相手の「発話の意図」を読むことは、AIにはできないからです。対話が行なわれている場の状況から話し方を調整したり、相手と自分の文化の違いなどのコンテクストを読み取ったりすることも無理です。そういう意味で英語の専門家の必要性はさらに高まるでしょうから、英語が好きで得意な人はどんどん勉強してほしいと思います。
英語を仕事で使わない人たちは、日本に住んでいれば英語を使わなくても生きていかれるわけですが、それでも英語を学んで得ることはいろいろあると思います。たとえば海外で自分がやりたい仕事ができるようになったり、日本にはない情報を知ることができたり、世界中の英語話者とつながることができたりしますし、海外の本や映画・ドラマや歌も、英語を知っていれば、より楽しむことができるでしょう。英語ができないより、できたほうが、世界が大きく広がるということは間違いありません。
――では、英語が苦手な人や海外に興味がない人は、英語を学ばなくてもよいでしょうか?
私は、少なくとも中学3年間は英語を勉強したほうがいいと思っています。確かに、日本人にとって英語は難しい言語ですが、難しい=おもしろいでもあって、そこをうまく教えられれば、中学生の豊かな知的好奇心は大いに刺激されるはずです。中学生たちに、「日本語には母音が5つしかないのに、英語には20以上もある」と具体的に口や舌を動かして音を聴かせると、「え〜⁉︎」と驚いて身を乗り出します。英語という、自分たちがふだん使っている日本語とは違う外国語を通して、言語に対する感性が磨かれ、異文化への窓が開かれていくんですね。
欧州評議会がCEFRという尺度を作ったのは、「母語の他に二つの言語を学び、相互理解から平和な世界をつくろう」という欧州評議会の複言語主義を具現化するためです。残念ながら、日本ではその理念が骨抜きにされてしまっていますが、日本のように同質性の高い国に住む私たちが多様な価値観と向き合うとき、英語をはじめとする外国の言語や文化を学ぶことには大きな意味があるはずです。中学レベルの英語をしっかり身につけておくと、他の言語を学ぶときにも役立つという意味でも、英語は異なる文化や未知なる世界を知り、異質な存在と共存していく力をつける出発点になるでしょう。
そう考えれば、英語が得意になる必要はないけれども、「英語なんて、学ばなくていい」とはならないと思います。約40年、日本の英語教育は「ペラペラ英語」を求めてきましたが、本当にそれでいいのでしょうか。私たちはなんのために英語を学ぶのか、ぜひ多くの方々に考えていただきたいと願っています。