生活、命、健康という現実がいつの間にかオリンピックというフィクションに変換され、私たちはなすすべもなく奇妙な静けさに包まれたスタジアムでの祝祭を画面越しに眺めるほかなかった。
本来、政治の言葉とは現実と切り結んでいるべきものである。しかし、国民を危険に晒しながら「安心・安全」といい、分断と不信を生みながら「団結・感動」を語る。世界では死者が増え、日本では感染者が爆発的に増加し医療がまさに崩壊しているにもかかわらず、「出口が見え始めている」と語れてしまう。自らの言葉から信が抜け落ち、空疎な呪文となっているグロテスクさに総理は気づくことはない。前総理からの専売特許である虚偽と嘘はここに極まった。祭の後で私たちが目にしているのは、政治の言葉の無残な瓦礫である。失政ならば取り返しがきく。しかし、言葉はそうではない。
もう何度目のデジャヴュなのか。政治が自らを表す言葉を殺した時、民主主義とは違う何ものかが忍び寄ってくる。かつて国民に堪え難きを堪え、忍び難きを忍ばせながら軍部は、嘘の大本営発表で国民を欺くだけで、勝ち目のないとわかっていた戦争をやめようとはしなかった。一度政治によって殺された言葉はいずれ人間を裏切りだす。
政治の空虚さを生んだもの
しかし、失政や政治の言葉の不信を嘆いてみせることもまた繰り返されるデジャヴュである。
「異例で異様な五輪」(朝日7月23日)、「『民は』どこへ行った」(東京7月24日)、「五輪の理念踏みにじった」(毎日7月23日)、「歴史的大会へ悪い流れを断て」(産経7月23日)。開会式を終えて語られた各紙の社説である。いずれもがほぼ同じ観点から開催の意義に疑義を呈している。識者の論陣はというと、感染拡大と開催を巡る不祥事を毎度のごとく論じるか、「嘘」「でたらめ」を指摘して留飲を下げるか、残された巨額の借金についてそろばんを弾いてみせるものが多かった。
批判にせよ賞賛にせよ、オリンピックに関する文章やコメントがどれも判を押したように似ているのはどうしたことなのだろうか。使われる語彙が、あたかも政治家が使う言葉のごとく大袈裟で凡庸、一方的で貧弱なのはなぜか。
今回のオリンピックを巡って明らかになったのは、私たちが政治を語る言葉もまた主体性のない無責任さに感染したあげく空疎化しているということだ。
オリンピックが、あるいは菅総理が小池都知事が、政治不信、政治の空虚を生んだのではない。問われているのは現実を覆い隠すべく政治が作り出すフィクションを許し、現実について見て見ぬふりをしてきた私たち自身の主体性の欠落にほかならない。
開催後の調査では、6~7割が開催してよかったと回答し、開催前と見事に逆転した。失政や責任を問う放談はひきもきらないが、いずれオリンピックを巡る一連の出来事も論じられた言葉も忘れられ、なかったことになる。
「復興」「安心・安全」「団結・感動」という嘘を批判しながら、一方で私たち自身は現実を目の当たりにすること、それと対決することを避けようとしてきたのではないか。不満を漏らし批判しながら、許し合い依存し合う。私たちが政治に求めているのは何か。
政治の言葉の空疎化は、主体性の欠如の方便として生み出された、政治と私たちとの共犯の結果なのだ。
炎上したものは何だったのか
現実と直面することからの逃避は、自分自身を見失うことでもある。空疎な政治の言葉に馴染んできた私たちの言葉もまた貧しい。自らを問うという主体性がなくなり、ひたすら自分を括弧に入れた詰(なじ)り合いという炎上ばかりが目につくようになってしまった。
森喜朗氏や電通ディレクター・佐々木宏氏の女性蔑視、開会式の音楽を担当の小山田圭吾氏や演出の小林賢太郎氏など、短期間で差別に関する問題がSNSの世界で瞬く間に燃えひろがった。
つい先ごろまでヘイトスピーチに寛容だった国とは思えない変貌ぶりである。今回、差別問題が燃えひろがった理由として、コロナストレスによる鬱憤晴らしや社会の不寛容化といった点が指摘されているが、見落とされがちなのは外からの視線、すなわち外国から見たら何と思われるか、批判を受ける、恥ずかしい、だからそんな人間を日本の五輪に関わらせてはいけないという恥と排除の感覚である。外からの視線を意識し、にわか作りの「国際感覚」や「正義」で個人をつるし上げ、オリンピックそのものへの不満の憂さを晴らしたに過ぎない。それは約60年前、開高が見抜いた主体性を欠いた「田舎臭い虚栄」と同質のものであって、そこに問題そのものの本質への問いかけ、さらには私たち自身への省察があったとは言い難い。自分は何ひとつ痛まない恥と排除の感覚や虚栄心は、何を生み出すこともない。炎上したのは、「鯨の腹のなか」でのつぶやきでしかなかった。
真にグロテスクであるのは、空疎な言葉を操ってしたり顔をする政治家でも、金としがらみにまみれた組織でもなく、自らの現実を圧殺する言葉を投げかけられても、我事にあらずと微動だにしない私たち自身の姿であり、自らの生に対する無責任な非当事者性である。
二つの物語を終えて
東京の街をつぶさに歩き、人と社会の現実を描いた開高は、国家をあげて五輪というフィクションに熱を上げる日本の「虚栄」と「空虚さ」に愛想を尽かし旅立った。ベトナムで失語に陥った彼は、一から自身の現実を探し対峙することを自分に課した。その後、従軍取材の途中で襲撃をうけ、九死に一生を得るという経験をし、それを題材にした『輝ける闇』という作品で作家として大成するのだが、失語の苦しみと憂いは終生癒えることがなかった。晩年、作品を書きあぐね釣りや美食に身を沈ませながら、彼は誰もが目を背けたがるこの国を覆う空虚さを孤独に凝視しつづけた。
かつての東京オリンピックは戦後からの再生の物語だった。いま人々は2度目のオリンピックを国力低下を決定付けた落日の物語として語りはじめている。再生と落日の間の60年。物語は変わった。しかし、私たち自身の姿はどうか。空虚さと闘う言葉はどこにあるのか。開高の憂鬱と苦しみを思いつつ、そんな問いばかりが浮かんでくる。