第2回:1934年イタリア大会(開催期間1934年5月27日~6月10日)
出場国・地域: 16
(予選参加国・地域:32 出場枠 欧州12、南米2、北中米カリブ1、アジア・アフリカ1)
欧州: イタリア、オーストリア、オランダ、スイス、スウェーデン、 スペイン、チェコスロバキア、ドイツ、ハンガリー、フランス、ベルギー、ルーマニア
南米:アルゼンチン、ブラジル
北中米カリブ:アメリカ
アジア・アフリカ:エジプト
優勝国:イタリア
得点王:オルドリッヒ・ネイエドリー(チェコスロバキア)5得点
決勝:1934年6月10日(ローマ) イタリア1-1チェコスロバキア(延長2-1)
トーナメント

*第2回の開催地はイタリア。当時の首相ベニート・ムッソリーニが自身の権力を誇示するために大会を最大限利用したともいわれる。たとえば試合会場となるスタジアムが「ベニート・ムッソリーニ・スタジアム」「国家ファシスト党スタジアム」などと名づけられた。今大会からラジオ中継も行われ、テレビはなかったが決勝戦の48時間後に記録映画の上映会がイタリア各地で行われた。
*本大会の出場枠は16で、エントリーがそれ以上になった場合は予選を行うことになっていた。当時は開催国も予選に参加。イタリアも予選を勝ち抜いての出場であった。本大会はリーグ戦ではなくトーナメント(勝ち抜き)で行われた。前回大会優勝のウルグアイは第1回開催時にヨーロッパ列強が参加しなかったことに対する抗議でボイコット。前回優勝者が参加しない唯一の大会となった。
*優勝はムッソリーニの強い命を受けた開催国のイタリア。戦力アップのために、前回大会準優勝アルゼンチンの主力(イタリア系移民)を3人引き抜き、審判に対する買収・脅迫などを行うという露骨な手段で勝ち取った優勝だった。そのため、このイタリア大会自体を評価しない専門家も多い。

第2回も開催国が優勝。喜ぶイタリアの選手たち(写真:アフロ)