モニカの案内で書斎を見て回る。理論書、辞書、自著、ラテンアメリカ関係、世界文学の本棚、その他、芸術、図録などの大型本は別の本棚にという具合だ。この整理の仕方は僕のそれとよく似ている。本棚には日本の書籍もあった。ただ、天地が逆になっているものもあって背の高い僕の秘書が入れ直した。カルタヘナの自宅でも、ここメキシコの自宅でもそう思ったが、記念館となると、本や書類はある程度整理されてしまう。仕方がないが、僕はガボが執筆中に聴いていたビートルズやバルトークのレコードや、枕元に置いていたというソーントン・ワイルダーの小説『三月十五日』を実際に見ることができれば、ガルシア=マルケスと真に再会できた気になっただろう。

書斎にて 撮影:篠田有史
彼の死後、この邸宅の一員となったという、黒猫の「ブルーノ」に好かれたらしい。家を辞して門扉の外で迎えの車を待つ間、ブルーノは門の内側からずっと優しい声で鳴き続け、最後まで僕たちを気遣ってくれた。
帰国の準備も整い、夜中の空港への移動まで時間に余裕があったので、ドライブのつもりでタクシーに乗ってポランコ地区を回ってみようと思った。配車アプリで目的地をいくつか指定して、ホテルに戻ってくるようにオーダーをした。するとやってきたのは赤い小型車でやけに古かった。ドライバーも下町の兄ちゃんという感じで、少し躊躇したがキャンセルするのも気が引けたので、そのまま車に乗り込んだ。ドライバーはアレハンドロ・ゴンサレス=イニャリトゥが撮ったメキシコ映画「アモーレス・ペロス」(2000)でガエル・ガルシア・ベルナルが演じた下町の青年オクタビオにそっくりだった。この四半世紀前の名作「アモーレス・ペロス」はカリブ滞在中に、バランキージャの映画館で今も上映されていることを知り、それで古い車に乗る気になったのだ。
メキシコシティのインスルヘンテス通りを北上する。ところが大渋滞で、なかなか進まない。小一時間のドライブのつもりが、1時間経っても行程の4分の1も進んでいない。途中、何度かドライブをキャンセルしようとしたが、この渋滞で〈オクタビオ〉もだんだん苛ついてきている。途中、家からの電話だろうか、スピーカーにしているスマートフォンで「あんた何時に帰ってくんの?」「知らねーよ」みたいな電話のやり取りを始めた。なかなか終わらない。ルートを変えるかドライブをキャンセルするか交渉しようとタイミングを探るが、何か話しかけても興奮した彼のスペイン語の訛りが激しく聞き取れない。下町言葉みたいだ。そのうち、〈オクタビオ〉は、車から降りて、合流で横入りしてきた前の高級車の運転手に言いがかりをつけ始めた。すると、秘書のスマートフォンのアプリが、「しばらく車が停車しているようですが、お困りではないですか?」と聞いてきた。とりあえず大丈夫、としたが、〈オクタビオ〉は渋滞で車が動かなくなると車から降りて自分のオンボロ車のバンパーと前の高級車のナンバープレートの写真を撮るふり(?)をし始めた。もう限界だ。キャンセルすることにしよう。そう決心した瞬間、〈オクタビオ〉から「もう降りてくれ。他の車を探しな」と言われた。大渋滞で車はほとんど動いてはいなかったが、なんと高架のロータリーになっている自動車専用道路の路肩で降ろされてしまった。下の道沿いには怪しげな店が並んでいる。
秘書は僕を注意深く車から降ろすと、歩道のある交差点まで手を引っ張って進んでいく。歩道に鶏の丸焼きの屋台があった。激しい空腹を感じ始めた。秘書は不測の事態に緊張した面持ちで、タクシーを再手配したスマートフォンで予約車の位置情報の動きを凝視している。この露店の鶏の丸焼きを買っていこうか、と言ってみたがやはり却下された。ほどなく〈オクタビオ〉の車とは天と地ほど差のある大きな白のカムリがやってきたのでそれに乗りこみ、インスルヘンテス通りを南にくだった。
数時間後の午前2時、さっきと同じ道とは思えないほど順調にタクシーは空港へ向かった。早くも僕は〈オクタビオ〉のことを懐かしく思い出していた。あのあとどうなったのだろう。
9月27日に帰国してしばらくの間、東京はまだ夏の暑さが残っていた。そして、偶然だろうが、黄色い蝶が僕の周りに寄ってくることが何度もあった。友人といるときにも飛んできた。モンキチョウの季節だったのだ。カメラマンの篠田有史くんとジャーナリストの工藤律子くんは、ボゴタの新聞エル・エスペクタドールに載った僕の記事を土産に翌月帰国した。僕にインタビューをした記者のネルソン・フレディ・パディージャは、来年日本に来るそうだ。
