戦意高揚、国民精神総動員のために作られ、広められた代表的な「国策標語」の一つ。太平洋戦争開戦1年後の1942年11月、大政翼賛会と朝日、東京日日、読売の3紙が公募した「国民決意の標語」の応募作品のなかから選ばれた10点のなかの一つが、この「欲しがりません勝つまでは」だった。賞金は100円。うどんが15銭の時代だからそれなりの額である。作者が12歳の少女だったことが話題を呼んだが、戦後、実は父親が書いたことを本人が明らかにした。
このとき入選した標語には、同様に広く普及した「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」も入っている。どちらも、すでに日用品や食料の多くが配給となり、配給の中身も欠乏しがちになってきた時期に、倹約を求め、気持ちを引き締めることを呼びかけたものと言える。
国策標語として今も語り継がれるものに「ぜいたくは敵だ!」がある。1940年7月7日にぜいたく品の製造販売を禁止する「七・七禁令」が出されたのを受けて「日本宣伝人倶楽部」が制作したものだ。翌8月、東京の街にこの「ぜいたくは敵だ!」や、「日本人ならぜいたくはできないはずだ!」と書かれた看板1500本が現れ、銀座や新宿のような繁華街では、国防婦人会などが、派手な着物を着た女性を見つけては「華美な服装はつつしみましょう」などと書かれたカードを手渡した。恐縮する女性もいれば、そのカードを破り捨ててみせる女性もいたという。
1943年3月には、東京・有楽町の日劇(日本劇場)の壁一面に巨大な写真壁画が登場して注目を集めた。雄たけびを上げながら手りゅう弾を投げようとする兵士の写真に、「撃ちてし止まむ」(うちてしやまん)とキャッチコピーを添えたものだ。もとは『古事記』に出てくる神武天皇の歌で、「敵を撃たずにおくものか」といった意味である。
国策標語としては、他に「捧げよ感謝 守れよ銃後」「進め一億火の玉だ」なども有名だ。
戦争末期になると、こうした標語も絶叫調のものが増えていく。内閣情報局が発行する「写真週報」表紙のコピーは、「勝て 勝て 勝つんだ」「やろう、勝つために何でもやろう」などといったものになり、女性雑誌でも「アメリカ人をぶち殺せ!」とか「この本性を見よ! 毒獣アメリカ女」といった殺伐としたコピーが登場する。
こうした標語に取り囲まれる窮屈さに反発する人は「ぜいたくは敵だ!」の看板に「素」を加えて「ぜいたくは素敵だ!」に変え、夫を戦争に取られた妻は「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」とつぶやくのであった。