ユダヤ人思想家のハンナ・アーレントは、ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺)で中心的役割を担ったといわれるアドルフ・アイヒマンの裁判傍聴記『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(みすず書房、新版2017年)の中で、その世紀の極悪人が、法廷では平凡でごくまじめそうなおとなしい官吏にしか見えなかったことを明らかにする。アーレントはそこから「悪の陳腐さ(Banality of Evil)」という概念を生み出し、国家権力に服従することで、こういった小人物が「怪物」に変貌する凄まじさを論じる。つまり、社会に蔓延して世界を壊滅させるような悪とは、実はこういった「ノーマル」=“ふつう”の人が思考や判断を停止して行う、表層的で凡庸な悪なのではないか、と考えるのだ。
まさに今回の容疑者は、アーレントの文脈において「陳腐」で「凡庸」な悪の人であり、多くの学者などが検証を重ねてきた史実よりも、自分が目で見たりネットで行きあたったりした情報のほうを真実と考え、それに合わせて歴史を簡単に無視したり修正したりするという現代的な文脈において、まさに「ふつうの人」だといえる。彼が繰り返した「ふつう」という自己認識は、ある意味で正しかったのだ。
しかし、誰もが気づくように、こういう人が本当に「ふつうの人」としてマジョリティになったとしたら、あっという間に社会は荒廃するだろう。
いま、やるべきことは、彼のような「ふつうの人」にならないようにすることなのだ。「ふつうではない人」、それは、昔ながらのやり方で、いま目の前になくとも「史実」を大切にする人、歴史を「塊=マッス」として捉えたり無視したり書き換えたりすることなく、なるべく時間軸の中でできごとを捉える人、何かを主張するときには論拠を示して意見を展開できる人、などを指す。
「ふつうの人」に注意。「ふつうの人」にはならない。そんな時代が来たのだ。
なぜ自称「ふつうの人」が銃を乱射するのか?
(医師)
2019/03/28