私は最初にヘイトデモを見たときから、「大きな声でヘイトスピーチを糾弾し、人権の大切さを主張する人」になった。知人の中には「ずっと“おもしろくてやさしい精神科医”というソフトなイメージでやってきたのだから、ここに来てゴリゴリの人権派になるのは損だ」と助言してくれる人もいた。実際に企業が絡んだような仕事はほとんどなくなった。大学には「許可が出ているデモに反対するような、違法でエキセントリックな人間が教員を務めてよいのか」という苦情が毎週のように寄せられ、大学幹部から聴き取り調査が行われるなどして学内での立場が悪くなった。しかし、私には「イメージがダウンするから反ヘイト路線は隠しておこう」などと考える余裕は、もはやまったくなくなっていた。
今回の小山田氏の一件は私に、自分がたどって来た道とそこで生まれた、いや私も生んできた間違いを突きつけた。
では、当時の文化にかかわってきた人たちは、どうすればいいのか。「私は間違っていました」と謝罪して、そっと文化の表舞台から姿を消せばいいのだろうか。もちろん、あやまちの認識と謝罪は必要だろうが、そこでさらなる文化を生み出すことで自分なりの“総括”や“清算”をすることは不可能なのだろうか。
***
そんな中、一本の映画が“希望”を与えてくれた。
2021年5月の日本公開以来、好調にロングランを続けている『アメリカン・ユートピア』だ。
監督はスパイク・リーだが、全編を通して登場するデイヴィッド・バーンの映画と言った方がわかりやすいかもしれない。映画といっても、これはバーン氏の同名のアルバム(2018年)発売後、彼のツアーコンサートをブロードウェイで舞台化し、そのショーをほぼそのまま撮ったものなのである。
デイヴィッド・バーンは、現在69歳。スコットランドで生まれ、幼少期に一家でアメリカに移住した彼は、美術系大学の同級生らとロックバンド「トーキング・ヘッズ」を結成し、1977年にアルバムデビュー。電子テクノロジーを使った都会的なテクノポップを得意としていたが、80年にアフリカン・サウンドを取り入れたアルバム『Remain in Light』が世界的に大ヒットした。強烈なビートに乗せられる歌詞はどれも抽象的で断片的で、そこにどんなメッセージが込められているのか、容易にはわからない。いわゆる西欧的な文明や社会への批判とも取れるし、逆にそこまでの深い意味はなく、テクノとアフリカン・サウンドの融合という実験のようにも思えた。
81年と82年にはトーキング・ヘッズはワールドツアーで日本を訪れ、私も見に行った記憶がある。端整な顔立ち、長身痩躯を白シャツと黒いスーツで包んだデイヴィッド・バーンはただただ恰好よかった。それまでのロックミュージシャンのようなワイルドさとはかけ離れ淡々と演奏をこなす彼らは、ライブを楽しんでいるようには見えなかった。さらにステージからのトークも少なく、観客はほとんど無視あるいは拒絶されているようにも感じたが、当時はそれさえ知的でクールに思えたのであった。
そして、それから実に40年。
映像の中、70代を間近にしたデイヴィッド・バーンは、白髪で顔の皮膚もややたるみ、太ってはいないがもはや痩躯とはいえない。灰色のスーツ姿はいまでも十分、魅力的とはいえ、他の若いメンバーと並んでダンスをする姿はやはり“年相応”だ。
そのショーでは、トーキング・ヘッズ初期から最近のソロ曲まで約20曲が休みなく演奏される。あいだにはときどきごく短いトークが入る。舞台のセットは何もなく、12人のメンバーは男女とも全員、灰色のパンツスーツで裸足。楽器は無線化されているので、誰もが演奏しながら歌い、ダンスもする。
音楽的にもとても質の高いパフォーマンスなのだが、何より驚いたのは、あのデイヴィッド・バーンが率直に“正論”を語ったことだ。それは、「私は人に会うのが苦手です。でも会わなきゃならない」といった個人的なことから、「移民なしでは私たちはどうにもなりません」といったいまのアメリカ社会についての意見、さらには「地方選挙の投票率を知っていますか? 地方からでも改革はできます。選挙人登録をしてください」「自分の脳を超えて、他者とのつながりを作っていくのです」といった聴衆への呼びかけにまで及んだ。また、演奏の中で片膝をつくポーズ(注:主にスポーツ大会における国歌演奏などのときに片膝をつき、黒人への暴力などの人種差別に対し抗議を示す行動)の映像を流したり、女性歌手のジャネール・モネイが2017年のワシントン女性デモで、過去の射殺事件で犠牲になった黒人たちの母親らといっしょに歌った『Hell You Talmbout』を演奏したりすることで、人種差別へのはっきりとした反対の意思を示した。
この『Hell You Talmbout』を歌う前には、ジャネール・モネイに「白人でいい年の男性だが、この曲を歌ってもよいだろうか」と確認して許可を得た、というエピソードが披露され、「私にも“内なる変革”が必要です」とつけ加えられた。トーキング・ヘッズが解散して長いとはいえ、その後も個人で、さらに近年は名プロデューサーのブライアン・イーノと組むなどして数々のアルバムを出してきたデイヴィッド・バーンを知らない人は、音楽の世界にはまずいないと思われる。それが、30歳以上も年下の女性歌手に「あなたの歌を歌ってよいか」とおずおずと許可を求めた、というのである。
***
(※)
「スキゾ」とは、批評家の浅田彰が1984年に自著『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房)で提唱した概念。人間には、さまざまなことに興味を持つ「スキゾフレニー(分裂)型」の性格と、ひとつのことに集中する「パラノイア(偏執)型」の二つがあるとし、前者をスキゾ型、後者をパラノ型と略した。