だから、ほかの同世代人たちと同じように、「なぜ小山田氏が雑誌でいじめ体験を自慢げに語ったのか」については、もしかすると誰よりもくわしく語れるのではないかとも思う(実は、漫画家・根本敬論の形を取りながら同じような問題意識を語ったのが、2019年に刊行した自著『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー――根本敬論』〈太田出版〉である)。
しかし、ここでは昔ばなし風にその話を繰り返すつもりはない。もちろん、その“総括”――これまた80年代、90年代サブカルとは対極にある言葉だが――はまた機会を見つけてじっくりしなければならないとは思っているが、この場で私が言いたいのは、「小山田氏がなぜいじめ体験を語ったのか」を文化史的な文脈で説明しようとすることそのものが、無意味というかもっといえば有害でしかない、ということなのだ。
いきなり「無意味で有害」などと結論づけるのはいささか乱暴なので、もう少しだけ言葉を足しておこう。先ほどキーワードだけをちりばめておいた80年代から90年代にかけてのサブカルとは、私の理解では「すべての表象から文脈や歴史をはぎ取って相対化し、権威や規範にとらわれず、自分はどこにもコミットしないまま、“ひとつの主義主張と距離を置けなくなる人”には冷笑的な態度を取り、ひたすら心地よさやおもしろさを追い求め、それ以上、何かを問われそうになったら、『そんなの何もわからないよ』と未成熟な子どものように逃げ出す」という性質を帯びたものだ。それは、いま思えばどう考えても、間違っていたのである。
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いや、単に「間違っていた」というのは言いすぎかもしれない。そこからはたしかに新しくて質の高い音楽、美術、映像、文学や評論、マンガ、ゲームなどが次々に生まれ、私を含む多くの人を楽しませ、救い、産業になって経済を活性化させた。私は86年に東京の私立医大を卒業し北海道で研修医となるのだが、最後まで「いま世界の最先端のカルチャー都市である東京を離れてよいのか」とふんぎりがつけられなかったほどだ。
とはいえ、当時、私たちは大きな前提を忘れていた。それをあえてひとことで言うなら、「人権意識」となるだろうか。
実は、この「人権意識を忘れていた」というのも正確ではない。たとえば、私がいちばん最初に携わったサブカル誌には、女性を凌辱するようなグラビアや、障害者を笑いものにするような漫画もときどき載っていた。ただ、意外に思われるかもしれないが、当時の編集部には差別、排除の雰囲気はまったくと言ってよいほど感じられず、たとえば私自身、当時は「若い女性」であったのだが、それを理由にハラスメント的な扱いを受けたこともなかった。やや言い訳めいて聞こえるかもしれないが、「従来の権威主義的な文化へのカウンター」としてあえてエロティシズムやグロテスクなもの、社会で「タブー」とされていた表現などを取り上げて社会に突きつけたのだ。もっとわかりやすく言えば、「本音では女性差別、障害者差別、外国人差別、貧困者差別などの意識があるのに、うわべだけ“差別はやめましょう”、“人間みな平等”などと言う教育者や政治家など“おとなたち”の“化けの皮”をはがして嘲笑したい」というところか。
ただ、繰り返しになるが、これはあくまで「いま思えば」と現時点からその頃を振り返り、正当化のバイアスをかけた説明でしかないことは、私自身よくわかっている。その証拠に、もし本当にそう主張したいなら「あなたたちの言う“差別はやめましょう”や“人間みな平等”は欺瞞だ」と、はっきりおとなたちを批判すればよかったはずなのに、当時の私や私がかかわっていた媒体ではそうしなかった。そのかわりに、あくまでその人たちを嘲笑するために露悪的な表現をし続けた。相手に向き合って議論し、改心を促したい、などという気はさらさらなかったわけだ。
ハタチになったばかりの私が強く影響を受けたムックに『センス・パワー!』(別冊宝島、1980年)というものがある。この中でもとくに秀逸な章「ポップ・アヴァンギャルド」には、「病気が今一番新しいポップ・アヴァンギャルドだ」「ビニール、プラスチック、プランクトンうようよ」「パラノイアックなフラグメントをどう生かすか」といった項目があった。そこには「意味がある/ない」とか「役に立つ/立たない」といった評価はなく、要は「センス」がすべてであった。これも先述したことと同様に、凌辱、差別表現があったとしても、そのウラにあったのは「建前とは裏腹に実は差別意識いっぱいの“おとな”を嘲笑したい」という思いだ。それをわかる「センス」を持った人だけがその嘲笑を共有してくれればいい、と考えたのである。
ここではこれ以上、立ち入って流れを追うことはしないが、その部分がさらに先鋭化していったのが90年代の「悪趣味・鬼畜」と呼ばれるサブカルの世界のブームといえる。そして、小山田氏の当時のインタビューは、その中で生まれたものなのである。
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ただ、こうやって当時を振り返って説明しながらも、私はたまらない歯がゆさを感じる。こういった文化論的な振り返りやその中での差別的表現やいじめ告白インタビューの位置づけを行ったところで、なんの意味もない、ということが自分なりによくわかるからだ。
では、当時そうやって人権意識をないがしろにしていた当時の文化そのものをどう位置付けるのかと考えると、これはさまざまに生まれた先進的なカルチャーを差し引いても、「意味がなかった」どころではなく、その後の日本にとって「非常に有害だった」という方が正しいのかもしれない、とさえ私は思う。
2000年代の終わりになって、ネットの中で、さらには路上でも在日コリアンへのおぞましい罵詈雑言どころか虐殺をほのめかすようなヘイトスピーチが目につくようになってきた。
私は、2010年代になってはじめて街頭のヘイトデモをこの目で見たとき、強い衝撃を覚えた。それは単に「彼らの言葉がひどいから」だけではなく、それが80年代、90年代を通して私がかかわってきたポストモダン文化やサブカルの延長線上にあるものに見えたからだ。
――ヘイトデモに参加している人たちは、80年代から90年代にかけて、「おもしろいから、センスのよい笑いだから」とか「もちろん人権は大切だとわかった上で、世の中の正論を嘲笑しているから」という大義名分のもとに私たちが作ってきたサブカル的、悪趣味・鬼畜的な表現を、現実の世界で真剣に実行に移しているのだ……。
ここで参加者たちに、サブカルやそこから派生した「悪趣味」に浸かっていた人たちが、「われわれはあくまで欺瞞に満ちた当時のおとなを嘲笑していただけで、本気に差別しようとしていたわけではない」「リアル世界での差別煽動をしたいだなんて想像もしてなかった。やめてくれ」などとあわてて止めようとしたところで、通用しないことは目に見えている。「僕たちは、あなたたちがサブカル雑誌で、サブカル人脈から出てきた監督たちがAV映像で、それぞれやってきたことを実際にやっているだけです」と言われたら、なにも反論できないだろう。
(※)
「スキゾ」とは、批評家の浅田彰が1984年に自著『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房)で提唱した概念。人間には、さまざまなことに興味を持つ「スキゾフレニー(分裂)型」の性格と、ひとつのことに集中する「パラノイア(偏執)型」の二つがあるとし、前者をスキゾ型、後者をパラノ型と略した。