異例ずくめなのが、村上春樹氏の5年ぶりの新作『1Q84』。発売まで内容はまったく明かされていなかったので、これは「面白いよ」といった口コミ人気ではない。多くの人たちが「よくわからないけれど、とにかく買わなきゃ」という気分になった、ということだ。
もちろん、村上春樹氏の場合は、出す本がことごとくベストセラーになる作家であるから、今回の本もかなりのヒットを記録することは予想がついていた。とはいえ、出版元も「まさかここまでとは」と驚いているのだという。作家自身ももしかすると同じ気持ちかもしれない。
出版不況と言われているいま、なぜこの本がここまで爆発的に売れたのか。それを考えるヒントは、ここ数年の“行列ブーム”にあるような気がする。
たとえばこの春だけでも、東京都内のあちこちで尋常ではないほどの行列が目撃された。原宿では人気のアメリカ・ファッション・ブランドの店がオープン、ということで、若い女性が何百メートルもの列を作った。上野では、仏像の『阿修羅展』が主催者の予想をはるかに超えた人気となり、こちらは高齢者も含めて1時間あるいはそれ以上の待ち時間に。そして、同列に語ることはできないかもしれないが、50代で亡くなったロック歌手・忌野清志郎さんの葬儀には、長年のファンから新しいファンまでが列を作って5時間以上も待ったという。
従来は、「行列ができている」と聞けば、それだけで「並ぶのはおっくうだな、やめておこう」とためらう人、「そんなに大衆的な人気があるものには興味がない」と少数派を決め込む人などもいたはずだ。ところが、いまは違う。「すごい人気」「何時間待ちの行列」と聞くと、「じゃ、私もそこに行って参加しなきゃ」とさらに多くの人が押しかけ、それがまた報道されて……という“らせん階段効果”が起こり、異例のメガヒット状態が生まれる。
ではなぜ、いまの人たちは行列を見て「私も並ばなきゃ」という思いにかられるのだろう。その理由はいろいろありそうだが、「そうしないと後れを取ってしまう」という不安、あせりがかき立てられるから、というのもそのひとつなのではないか。かつて小泉自民党が衆議院選挙で圧勝した時くらいから、世の中には「“ひとり勝ち”するものを探せ!」というムードがあふれているように思う。いまいちばん強いもの、誰もが好きなものは何か、と誰もが必死に探し、それが見つかったら我先にその列に加わって、自分も時流に乗り遅れずにちゃんと多数派についている、という安心感を得るためだ。
村上春樹本の異例の売れ行きの背景に、「多数派についていないと不安」という“ひとり勝ちブーム”や“行列ブーム”がある、と言えば、古くからの春樹ファンに「そんなに安っぽく語るな」としかられるだろうか。
かく言う私も、これまでは村上春樹氏の新刊が出たら、自分で本当に読みたい気持ちになるまで待ってから買って楽しみに読む、というスタンスだったのに、今回ばかりは「品切れになる前に」といち早く買ってしまった。そして、「私は何をあせっているのだろう」と自分がちょっと恥ずかしくなったのである。「みんなが並んでいるから、あなたも早く並ばないと遅れますよ!」という“天の声”の力はあなどれない。そこで浮き足立ってしまったり、後から考えて「しまった」と思うような行列に並んでしまったりしないよう、注意が必要のようである。