これは、前年の調査に比べて「わずかに増」。政府は、各分野で政策や方針の決定などにかかわる「指導的地位」にある女性の割合を2020年までに30%にしたい、としているが、これでは10%に届くのもまだまだ先のことになりそうだ。
なぜ、女性管理職の登用が進まないのか。背景にはいろいろな理由があるだろうが、とくに重要な意思決定の場では、「女性がいると本音で話しにくい」と考えている男性がいまだに多いように思う。
先日、ある会合で女性問題にくわしい評論家の樋口恵子氏が、こんな話をしてくれた。「たとえ女性管理職がいたとしても、会議が終わってその女性が退室してから残った男性どうしで急に打ち解けて、あれこれ大切な話し合いが行われる、という企業もあるんですよ」
では、なぜ女性がいると本音の話し合いができないのか。その理由のひとつには、女性管理職が正論を好み、いいかげんなことを嫌うから、というのがあると思う。これまで男性社会でお互いの便宜のために融通をきかせ合ってきた男性どうしは、ときに理屈を超えたところで意思決定を行うこともある。その象徴が、政治の世界の談合や不正献金問題だ。「まあ、共存共栄のために堅いこと言わないで」と適当なことをし合ってきた結果が、大きな不正につながることも少なくない。
ところが、女性にはそれは通じない。それは、女性がもともと純粋で誠実だからというよりは、これまで女性は、そういった男性社会の便宜のはかり合いによる恩恵を受けてこなかったからではないだろうか。だから、「この前はおなじみのA社に発注したんで、今回はその次につき合いの長いB社に」といった適当な決定の仕方が理解できず、「きちんと利ざやを計算して、それがいちばん高いところに発注すべきです」と正論を述べることになる。そしてそれが、男性管理職に「たしかに理屈はそうだけど、でも…」と煙たがられる原因にもなってしまうのだ。
では、どうすればいいのか。女性管理職も、意思決定の場ではもっと融通をきかせて、理屈ではなく情緒やあうんの呼吸でものごとを決めていくようにすればいいのだろうか。あるいは、男性たちがこれまで受けてきた恩恵を自分たちにも与えるべきだ、と要求すればいいのだろうか。どちらも正しくはないだろう。
ここは、これまでの“持ちつ持たれつ”で自分たちのメリットばかりを追求してきた男性たちに、何としても変化してもらわなければならない。そうやっていつまでも“正しさ”を振りかざす人を排除して、お互いを守り合っても組織の未来はないだろう。
とはいえ、管理職になる女性たちにも、ちょっとしたテクニックは必要だ。これまでなれ合いで長いことやって来た男性たちを一刀両断のもとに切り捨て、「あなたたちは間違っています!」と正論を述べても、彼らは自分自身が否定されたような気になり、よけいに反発を強めるだけだ。これまでのやり方もひとつの知恵だったとは思うが、と一応、男性たちや組織の歴史を尊重する姿勢を見せてから、「でもこれまでのやり方では、結局のところみんなが損をすることになる」と変化を促すことが必要かもしれない。
それにしても、いくら社会でがんばっても女性が重要なポストにつくことができないという事態が続くと、そのうち「なんだか働いてもバカらしい」と女性たちのモチベーションが下がってしまう可能性もある。女性管理職が少ない企業に対しての罰則規定を定めでもしない限り、改善は見込めないのだろうか。なんだか寂しい話だ。