市民活動から政治入りを果たした菅直人氏は、早くから「官僚との対決姿勢」を明らかにし、“ひと味違う政治家”ということで注目を集めていた。
とくに印象的なのは、1996年、橋本龍太郎内閣で厚生大臣に就任してから見せた、薬害エイズ事件での大活躍。大臣自ら指揮を執って、厚生省が隠していたファイルの存在を突きとめ、この問題に関してはじめて行政の責任を認めさせたのだ。このときすでに、「次の日本のリーダーは菅氏をおいてほかにいない」という声が上がっていた。
その後、鳩山氏とともに民主党を旗揚げ、二度、代表に選出されるなどして多くの期待を集めた菅氏を待っていたのが、2004年の小泉純一郎政権時代の年金未納問題だった。このとき菅氏は、行政側の過失であって自身の納付歴に問題はない、と主張。後にそれが正しかったことが判明するのだが、世論やマスコミの批判の前に代表辞任へと追い込まれた。白装束でひとり寂しく四国のお遍路巡りをする菅氏の姿を、雑誌やテレビなどで見た記憶を持つ人も少なくないだろう。
その“お遍路時代”から6年。厚生大臣時代から数えると実に15年近い年月がたっている。満を持して、といえば聞こえはよいのだが、あまりにも長い時間が経過し、そのあいだに日本は下り坂をまっしぐらに降りてきた。ここでようやく「菅直人、登板!」と言われても、フレッシュな気持ちになれる人はまずいないはずだ。
とはいえ、いまの日本では、どうやら「新しい人間関係を築くのは面倒、昔の関係をもう一度」という動きがはやっているようだ。ただし、これは政治の世界ではなくて、男と女の話だ。「同窓会がきっかけで昔の恋愛関係が復活」というドラマが評判になっていることもあり、「過去の恋人とまたつき合い出した人たち」といった特集が雑誌などでもさかんに組まれている。
経験者たちのインタビューによると、「未知数の関係よりも、長所も短所も知り尽くした過去の恋人のほうが安心で安全」というのと、「昔は若くてすぐに別れたが、今なら人生経験も積んだので多少の問題には対処できそう」というのが、“復活愛”の理由のようだ。これこそおとなの態度と言えなくもないが、「ときめきよりもリスク回避」を取ろうとする慎重派、消極派が増えたということでもあるのだろう。新しい関係に挑むだけの心理的エネルギーがすっかり枯渇している人もいるのだと思う。
「今さら、という気がしないでもないが、まあ、菅首相でいいんじゃない?」とクールに、しかし抵抗もなく見守る日本社会も、また“復活愛”で落ち着こうとする恋人たちと同じとは言えないだろうか。政権交代という大きな変化に賭けてはみたが、思ったほどの成果は得られなかった。かといって、ここでまた大きな変化を受け入れる勇気はとてもない。だとしたら、どこかで見たような光景だけれど、今こそ菅さんにやってもらえば少しはどうにかなるんじゃないか。
相次ぐ首相交代ですっかり疲れきっている日本の社会、人びとの前に、以前のように颯爽(さっそう)と、とはいかないものの、落ち着いた態度で現れた“元・ニューリーダー”。はたして彼とのあいだで、私たちは“復活愛”を紡いでいくことができるのだろうか。