新しいテクノロジーなのだから次々に生まれるのは当然。とはいえ、こうなるとなんだかいたちごっこだ。たまに、いまだに携帯電話もパソコンも使わない、手紙も書類もすべて手書き、人に送るときは郵便で、などという人に会うと、「むしろこっちのほうが正しいのかも」と思ってしまう…となると、完全に病理的な恐怖症のレベルに達している。
精神医学の世界で、コンピューター労働に従事する人のあいだに発生する症候群として「テクノストレス」が発見されたのは、1984年のこと。このテクノストレスは、もともとは次の二種類に分類されていた。すなわち、ITに過剰に適応してそれなしではいられなくなる「テクノ依存症」と、逆にうまく適応できず、ついて行けないことに苦しんだり体調が悪化したりする「テクノ不安症」だ。
その後、コンピューターは仕事や生活にとって切っても切れないものになったので、もっぱら“のめり込みすぎ”の「テクノ依存症」にばかり、関心が集まるようになっていった。ところが、ここに来てあまりにテクノロジーの進化が速すぎるため、再び「テクノ不安症」が増えつつあるのではないだろうか。
テクノストレスという症候群が発見されたときには、人には「コンピューターやOA機器を扱うのが苦手なタイプ」がいることが明らかにされた。もちろんこれまで使いなれていない人もそうだが、一度、身につけたやり方や技術を大切にしたい、新しさより秩序や伝統を重んじたい、というまじめで几帳面な性格傾向を持つ人も“次から次”と乗り換えていくのには抵抗を感じるだろう。
とくに最近、出現しているミクシィにしてもツイッターやフェースブックにしても、直接、人づきあいに関係したテクノロジーだ。使うツールが変われば、人との距離感やコミュニケーションの量、回数も微妙に変わってくる。たとえば、ツイッターだと一度の投稿は140字。しかも、自分の呼びかけに誰もこたえてくれなかったとしても、気にせずにまた次の発言をすればよい、といった暗黙のルールもあるようだ。そうなると、「呼びかけられたら必ずこたえるべき」というこれまでの習慣を保ち続けている人にとっては、それだけで大きなストレスになってしまう。
私は、よほどの新しいもの好き、またビジネスでそれらを利用しなければならない人以外は、こういった「コミュニケーションツールの乗り換え」には慎重になるべき、と考えている。人間はそれほど柔軟ではなく、これまで手紙を出せば必ず返事があったのに、ツイッターになったらいきなり無視、という激変に耐えられるほどタフな人は、実はあまり多くないのではないか、と思うからだ。実際に、こういった新しいITコミュニケーションで傷ついて、うつ状態に陥った、というケースもちらほら診察室にやって来るようになった。
洋服を取り替えるように次々、新しいコミュニケーションツールに手を出していると、知らないあいだに新種のテクノストレスに冒される危険性が…。こんな発言をしたら、「ITの進化にケチをつけるのか!」とその業界の人たちから怒られてしまうだろうか。