アメリカの医学論文をまとめて載せているジャーナルを見ていたら、イラクから帰還した兵士の1割に深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ病が見られ、時間がたってもなかなか回復しないケースも少なくないようだ。正確な比較データはないのだが、これまでの戦争帰還兵と比べてかなりの高率と言えるのではないか、とされている。
もともとこのPTSDは、命の危険は去ったはずなのに心理的な症状に苦しめられ続けるベトナム戦争帰還兵の研究を通して確立した疾患概念だ。一度の事件、災害でも、地下鉄サリン事件のように深刻な心のダメージが10年以上にわたって続くことがある。戦場の場合は、「毎日が犯罪、事件」といった状態が従軍しているあいだずっと起きるのだ。いくら職業的な訓練を受けた兵士とはいえ、その心はかなり傷つくことが当然、予想される。
一般に戦場では、兵士は完全に日常から遮断され、「自分が行っていることは絶対に正しいのだ」とある種の催眠状態に自分を追い込む必要がある。そうすることではじめて、兵器を使ったり相手を攻撃したりすることができるようになるのだ。日常モードのまま戦場に出るのは、かえって危険なことだと考えられる。
ところが現代は過去とは違い、戦場にいながらも一般の兵士がインターネットなどで情報にアクセスすることも可能になった。戦場からブログなどを発信して、現実とコンタクトし続ける兵士も少なくない。
とくに今回のイラク戦争は、そもそも開戦の時から「大義なき戦争」などと言われ、個人的には疑いの気持ちを残しながら戦地に赴いた兵士もいるかもしれない。そういうケースでは、よりうつ病などが発生しやすいと言えるだろう。
おそらく、これは今回のイラク戦争に限ったことではない。いわゆる「大本営発表」だけで人々を統率することはむずかしくなっている現代の戦争では、兵士も市民も日常モードのまま戦争に巻き込まれていくことになる。そうすると、目の前で起きている爆撃や銃撃がよりリアルなものとして感じられ、無事に帰還したとしても、PTSDなどの心の後遺症の発生率はこれまで以上に高くなることが予想される。
実は、このことは一見、平和な社会に暮らす私たちとも無縁な話ではない。人々の情報手段が今よりもっと限られていたときは、「これってすごく効果があるらしいよ」「あの政治家なら絶対まかせられるよね」と私たちは単純に何かを信用して、たとえだまされていたとしてもそれを疑うことなく、決定的な破綻が来るまでは生活することができた。ところが現在は、ネットなどを使えば容易に詳細な情報、より正確と思われる情報も手に入る。「私がいま信じていることは本当に正しいのだろうか」と不信感いっぱいですごしていると、小さなストレスも思いがけない心のダメージになることがありうるのだ。
おそらく今後は、「わが国こそが正義だ」といった戦争、「この治療法こそが奇跡を起こすのです」といったビジネスは不可能で、誰もが情報を集め、疑ってかかる時代が来る。そこには「だまされない社会」というメリットもあるのだが、一方で私たちの心はよりストレスを感じやすく、ダメージを引きずりやすくなるということでもあるのだ。
21世紀の戦争、イラク戦争帰還兵たちが教えてくれることから、私たちも学ぶべきことは少なくなさそうである。