一方、島民どうしが助け合い、支え合う姿もテレビなどを通して報じられている。命を守り、生活の復旧を目指す島の人々にある種の「力強さ」を感じる人もいるのではないか。
私の勤務する病院にも奄美出身の看護師がいるのだが、ひとり残る母親を案じながらも、「命は助かったので、あとは島にいればなんとかなるはず。近所の人たちの結びつきがありますから」と笑顔で話している。濁流の中、高齢者の救助を最優先とし、住民が協力して安全な場所に運んだ地区、自分の家にも戻れない中、まず地区内のひとり暮らしの高齢者の安否確認に走り回った人たちなどもいるそうだ。
そういった人々の映像を見て、「ここに私たちが失った何かがある」と語ったキャスターがいたが、つい「ああ、こういうところに住んでいたら孤独死などの心配もなく、安心して暮らせるのでは」と思った人もいると思う。同時に、隣近所とほとんどつき合いのない都市部に住んでいる人は、「もしこのあたりで災害が起きたら…」とぞっとしたのではないか。同じ会社、同じ学校にいても、個人情報重視の昨今では、お互いどこに誰と住んでいるのかもわからない、という人も少なくないだろう。
ただ、ここで忘れてはならないことがある。それは、奄美大島の人たちのような結束は、一朝一夕にしてはできあがらない、ということ。そして、その結びつきは、災害や病気のときなど自分に都合のよいときだけに限る、というわけにはいかない、ということだ。
奄美ではないのだが、私が診ていた患者さんの中で、南方の島での生活がストレスとなってうつ病に陥り、休養のため島を離れてきた、というケースがあった。
彼女が語る“島の生活”は聞いているだけでもしんどそうであった。正月は新暦と旧暦と二回、何かにつけて親戚一同が集まり、何日にもわたって宴会を開催。お中元やお歳暮などは、店からの配達ではなくて直接、相手に届けるのが原則。そのほかにも地域の細かい行事や風習があり、毎日、カレンダーを見ては「あ、もうすぐお盆だ」「また30人分のごちそうを作らなくては」と確認して作業に追われていたという。「ここからはプライベートですから」「非合理的な儀式は好みません」などとは言っていられない。
一度、他人とあまり接触しない生活の快適さを知ってしまった人たちが、わずらわしさ込みで再び濃い人間関係に戻ることができるのだろうか。それはどう考えても不可能だ。
いちばん望ましいのは、それぞれの個人の領域も守られながら、いざというときには結束を発揮し、助け合えるような“ほどよい関係”を地域や会社などで構築することだが、その“ほどよい”というほどむずかしいものはない。そうなるとやはり、福祉などの行政サービスになんとかしてもらうしかないのだろうか。
わずらわしいのはいや。自分の生活に立ち入ってほしくない。でも、いざというときにひとりなのは不安だし、そうなると生き延びることもできない。では、いったいどうすればよいのか…。奄美大島の力強い復興を応援しながらも、私たちが考え、答えを出さなければならない課題が、またひとつ増えてしまった気がする。