サンデルの本のタイトルは、『これからの「正義」の話をしよう』。この「正義」とは、私たちが日常で使う「正義の味方」「正義のヒーロー」などの「正義」とはやや違い、「道徳真理に基づく正しい行為」といった意味。絶対的な善よりも、「公正さ、公平さ」「社会や他者の幸福」も重要視されている。
サンデル本のヒットに続き、一般の雑誌が哲学や政治哲学の特集を組んだり、サンデルも引用している哲学者ジョン・ロールズの大著『正義論』の新訳が出版されて話題になったり、ちょっとした“正義論ブーム”が起きている感もある。
おそらく09年までであれば、「正義とは何か」と誰かが言い出したとしても、聞く耳を持つ人はあまりいなかったはずだ。多くの人はそんなことより、「どうすれば不況を抜け出せるか」「医者にかかりたいが医療崩壊で病院がない」といった目先の問題や自分自身の問題で手いっぱいで、とても道徳だ正義だといったテーマに向き合う心理的余裕はなかったはずだ。
では、10年になって人々は少し余裕を取り戻したからこそ、正義論を中心とする哲学ブームがやって来たのだろうか。それは違う。事態はむしろ逆で、社会の状況はますます悪くなりつつある、と言ってもよい。あの熱狂の中で誕生した民主党政権も、どうやら期待はずれらしい、ということになりつつある。では、自民党政権に戻せばよいのか、というとそれも疑問。政治に対する信頼感が急激に低下したのが、この2010年という年であった。
こういう混乱状況の中では、これまで通用していた軸(「保守か革新か」「権力か市民か」「経済優先か福祉優先か」「規律か自由か」など)がほとんど使えない。また、簡単に是非を判断できないようなタイプの問題も立て続けに起きた。たとえば、「検察vs小沢一郎」といった一連の流れひとつを取っても、「私はこれまで反権力の立場だったから検察には批判的だけれど、だからといって小沢氏を支持したいかというとそれも違う…」と頭を抱えてしまった人も少なくないのではないか。
そこで、「これまでになかった判断のよりどころ」として、サンデルが唱えた「正義」が注目されたのではないか、と思われる。また、ドラッカーの経営哲学や政治哲学と呼ばれる新しい分野が、混迷を生き抜くためのヒントになるのではないか、と直感的に感じた人も多かったのだろう。
こうして「自分さえ勝ち抜けばいい」というところから一歩抜け出て、より本質的により社会的な視点でものごとを考えようとする人が増えるのは、歓迎すべき傾向だ。とはいえ、ドラッカーもサンデルも、決してすべての答えを知る救世主でない。彼らはあくまで、考え方、決め方のサンプルを示しているだけなのだ。
「これであなたも年収倍増」といったフレーズに踊らされることなく、「本当に正しいのはどちら?」と考えようとし始めた私たちは、今後、はたしてそれを行動に移せるのか。それとも、“正義論ブーム”はただのブームで終わり、また別の思想や考え方が注目を集めるのか。注意深く見守りたい。