いわゆる「自粛ムード」には、このところ批判の声も出ている。「被災地以外の場所で自粛しても、かえって日本経済が沈滞するばかりで支援にはならない」「被災者たちも全国の人たちに自粛してほしい、などとは願っていない」。そんな中、「私たちにできることは、消費をして経済を活性化すること」と、積極的に外食や旅行に出かけよう、と呼びかけている人もいる。
私も二度ほど被災地に出かけたが、「みんなに自粛してもらいたい」などと語る人はいなかった。逆に「東京や大阪がいつも通りにぎわっている映像をテレビで見ると、ほっとする」「みんな楽しく食べたり飲んだりしている、と思うと、私も早くそうなりたい、と元気が出る」という声は何度か聞いた。
つまり、誰も自粛は望んでいない、ということだ。
では、それにもかかわらず、なぜやりたいことを我慢し、楽しみにしていた旅行を取りやめてしまうのか。
理由はふたつほどありそうだ。ひとつは、「ひと目を気にして」ということだ。自分は出かけたいと思っても、まわりの人たちがそれをどう思うかわからない。「国内でたいへんな思いをしている人がたくさんいるのに、よくフランスに美術なんか見に行く気になるねえ」などと顰蹙(ひんしゅく)を買うのではないか、と不安になってしまうのだ。実際にはそんな批判を口にする人などいないとわかっていても、自分が口火を切って旅行に出かけて目立つのは避けたい、と思っている人もいる。
もしかすると、この人たちは最初からあまり旅行になど行きたくなかったのではないか。これまでも、「ゴールデンウイークはみんなレジャーに出かけるもの」と思っていて、まわりにあわせるために旅行の計画などを立てただけなのかもしれない。だから、「まわりが行かない」のだとしたら、とたんに自分が旅行に出る意味を感じられなくなって、すぐに取りやめてしまうのだ。
そして、旅行中止のもうひとつの理由は、「とてもそんな気にはなれない」というものだ。毎日、たいへんな思いをしている被災者の話題をテレビなどで見ているうちに、自分もすっかり気が滅入って、長距離を移動してどこかに出かけたい、という意欲がすっかりなくなってしまった。そういう人も少なくないだろう。
いずれにしても、多くの人が、「今年はいつものゴールデンウイークと違うのだ」という思いにとらわれている。しかし本来なら、いつもと違う春だったからこそ、このあたりでひととき、現実から目をそらし、ゆっくり休んだり気分転換をはかったりしてもよいのではないだろうか。
これは、被災地以外の人ばかりではない。片づけなどに追われる被災地の人たちも、もし余裕があったら、数日でも自分のいる土地を離れ、ゆっくり温泉に入ったりおいしいものを食べたりしてもらいたい。「旅行が終わればまたつらい現実が」と恐れる必要はない。数日でも心身をリラックスさせることができれば、また現実に向き合うパワーがわいてくるものだ。
もちろん、無理してあちこちに出かける必要はない。「まだそんな気にはなれない」という場合は、睡眠にあてるなどして休むのもよい。ただ、せっかくの連休なのだ。余力がある人はまわりに遠慮などしないで、なるべく楽しくすごすことをおすすめしたいと思う。