ところがこのほど、この養子縁組は仲介者に金銭を支払って行われたものであったこと、また提供者らは暴力団関係者であったことが明らかになった。院長と“親子”関係となって腎臓を提供したのは、暴力団に借金のある若者だったという。
この事件は、臓器移植をめぐるさまざまな問題を象徴しているように思う。まず、一般的に生体間移植にしても脳死移植にしても、そこにあるのは「善意」だと考えられているが、実際にはそうでない場合もある、ということが明らかになった。また、生体間移植での「親族間」という限定はいわゆる血縁に限られてはおらず、配偶者や養子縁組の親族からという場合も許されているため、このような不正な移植が行われやすいこともわかった。
実際に暴力団関係者らとの交渉を行っていたのは、病院長の妻だったとも報じられている。夫が慢性の腎不全や肝疾患などの場合、しばしば親戚から妻に対して「元気なあなたが臓器を提供してあげては」といったプレッシャーがかけられることがある。
生体間移植は提供者の命にかかわる問題ではないとはいえ、健康には何らかの影響が出る危険性はおおいにある。自分はどこも悪くないのに麻酔をかけられ、メスを入れられるだけでも、身体にとっては大きな負担だ。また、ふたつの腎臓のうちひとつを提供し、その後、残りの腎臓が何らかの病気になったら、その時点でアウトというリスクも背負うことになる。
診察室でも、「姑たちから、“息子にあなたの腎臓を”という無言の圧力をかけられている。そうしてあげたい気持ちもあるけれど、やっぱり怖い。どうしたらいいのだろう」という腎不全の夫を持つ妻からの相談が寄せられたことがあった。「あなたの人生なのですから、とにかく自分で自分を守るというのを原則にしてもいいのでは」とアドバイスするとほっとしたような顔をしたが、あの女性はどうなったのだろう。もしかすると、その後、やはり生体腎移植を行うことになったのかもしれない。もちろん、それは善意や愛情に基づいての行為だとは思うが、そこに少しでも「姑たちからの圧力」が関係しているのだとしたら、それは「金銭授受さえ伴わない不正な移植」と言ってもよいのではないだろうか。
今回の事件の場合、院長は医学的な知識も十分持ち合わせ、それを悪用する形で移植を受けた。手術を行った宇和島徳州会病院は「提供者である義理の息子は、患者の娘の友人」といった説明を受けて何ら疑わなかったかと言うが、今後は生体間移植の場合、提供者に対して、本当に本人の意思のみによる提供なのか、善意以外の何かが働いているのではないか、ということを、心理の専門職や移植コーディネーターなどがもっと丹念に聴取すべきであろう。
臓器移植は「命の贈り物」などとも呼ばれ、そこにそれ以上、疑いの目を向けるのは不謹慎だと思われがちだ。しかし、実際にこういった事件が明るみに出た以上、残念だが監視の目を厳しくせざるをえない。後味の悪い事件が起きたものである。