「被災者の皆様へ」から始まり、支援者、報道関係者への呼びかけと続き、最後のパートは「国民の皆様へ」となっている。そのパートで強調されているのが、「がんばれ、などの励ましはほどほどに」ということ。提言から引用しよう。
「被災者の方々を励まし元気づけるためのメッセージが、繰り返しテレビやラジオをはじめ、さまざまなメディアを通じて流されています。誰もが、真剣な思いからこれらのキャンペーンに参加していることは間違いありません。しかしながら、被災者の方々のお立場からすると、『がんばれ』、『強く』、『絶対』、あるいは『大丈夫』といった言葉がともすればつらく感じられることがあり、キャンペーン活動に違和感を覚える人が少なくないことも事実です。大切な家族や親族、友人を亡くされた方、そして生活の糧を失った方の中には、『何をどうがんばればよいのか』、あるいは、『これ以上、どうがんばれというのか』という思いもあることを、私たちは知らなければなりません。(中略)
被災者の方々の状況やお立場は一人一人が異なり、必要とされる支援のありかたも多様です。被災地の実情も地域ごとに異なります。メッセージやケアが押し付けにならぬよう、今後は、過剰なストレスや心身の不調にある方が、気兼ねすることなく早目に相談されたり助けを求めたり出来るような、あるいは、『弱音を吐いてもよいのだ』と感じていただけるようなメッセージを伝えることも重要だと考えます。」
同学会によると、震災から4カ月あまりが経過したこの時期あたりから、過剰な励まし、「もう忘れて」といった押し付けが、心の傷の後遺症(PTSD)を悪化させる場合があるという。
「うつ病の人に『がんばれ』は禁句」ということは最近、よく報じられるようになったが、被災者にもこの言葉がいけないのか、と驚いた人もいるはずだ。私も、テレビ関係者から「テレビで繰り返し流してきた『がんばろう東北』といったフレーズも危険なんですか」と尋ねられた。
もちろん、困難な状況にある人に「がんばってくださいね」と心から応援や励ましの声をかけることじたい、悪いはずはない。また、「がんばれ」はダメと言われても、それにかわる単語は日本語の中になかなかない。ただ、そこで「あとはひとりでがんばって」「立ち直れるかどうかはあなたのがんばり次第」といったニュアンスが込められると、言われた相手は孤独感や重圧を感じてしまうことになる。その場合は、「あせらずやろうね」とか「無理しないでゆっくり休んでね」「なにかあったら言ってよ」といった“待ちの姿勢”“寄り添いの姿勢”のほうが望ましいだろう。
ただ、新聞の投書で「東京の人に、がんばりすぎないで、と言われたが、この状況でがんばらなくてどうするのか」という被災地の人の声を読んだこともあった。時によっては、「ゆっくりね」が相手を傷つけることもあるのだ。
困難の中にある人への励ましは、実はかなりむずかしい。原則は「その人にあわせて」で、万能の処方箋はないのだ。「こうすべきだ」と一律に考えるのではなくて、「相手はいま何を求めているのか」と常に考えながら声をかけたい。