複数犯説も消えてはいないが、いまのところ共犯者や組織の存在は明らかになっていない。取り調べで、男性は「ヨーロッパをイスラム侵略から守る」「自分は数十年にわたる文化戦争の先導者だ」などと言っており、これまでも移民に寛容なノルウェー政府に対する強い反感を、ネットでさかんに表明していたという。
こう聞けば、「常識からはあまりにかけ離れた発言だ。男性の弁護士が精神鑑定を要求しているのも当然だろう」と考える人もいるかもしれない。ただ、私は、男性は極端に偏った価値観や「自分は万能で特別なはず」と思い込んでいる自己愛パーソナリティーの持ち主であるとは思うが、その背景に責任能力が問われるほどの病理はない、と考えている。それどころか、行ったことの結果は別として、この男性と同じような考え方をしている青年は、北欧でも決して少数派とは言えないのではないか、とも思うのだ。
個人的な話になってしまうが、私はいまから5年ほど前、スウェーデンで開催された学会で日本の「ひきこもり」について発表する機会を得た。「高い理想、特権意識を持っているのにそれがなかなか満たされず、自分に厳しい評価が下されるのを恐れてひきこもり、自尊心が低下すると同時に周囲に対しても他罰的になって行く」などのケース報告をすると、その場に居合わせた研究者の多くは「わからない」という顔をした。「成人になったら自分の責任で生活しなければならないヨーロッパでは、まず起こりえない問題ですね」と言った人もいた。
しかし、何人かの研究者は、「そんなことはない」と反論した。そしてそのうちのひとりが、こんな話までしてくれたのだ。
「実は、私の息子もそうなんです。彼は高校までは優秀でやさしい子どもで、動物を救いたいと獣医を目指していました。ところが、大学受験で失敗して夢が破れたのがきっかけで、部屋から出てこなくなり、一日中、ネットを見ているようになったのです。そのうち、息子が恐ろしいことを言い出しました。スウェーデンが悪くなっているのはイスラム系移民のせいだ、彼らが仕事を奪い社会の秩序を乱しているんだから、追い出せばいいんだ、というように。やさしかった息子がネオナチになってしまったようで、私はとても失望しています」
もちろん、この一例だけから「北欧にはこういう青年が増えている」と断言することはできない。ただ、今回の凶悪なテロリストもこのケースと同じプロセスをたどったのでは、と考えてみることも不可能ではないだろう。もともと優秀だった男性は、「自分には重要なことができるはず」という高い使命感や理想、そして「他人とは違う何者かにならなくてはならない」という強迫観念にも似た自己実現願望を持っていた。ところが、何かがきっかけで挫折し、「世の中で生かされない」というフラストレーションがたまり、それを向ける矛先として標的となったのが、移民や移民に寛容な政府だった、というわけだ。
こうなると、今度は世界を震撼させたこのテロ事件が、オウム真理教による地下鉄サリン事件など日本の“元優等生たちの凶悪事件”とも重なってくる。あまり乱暴にすべてをひとくくりにすることは避けたいが、「自分の人生、こんなはずではなかった」「世間に埋没する人生なんて送りたくない」と考え、高い能力を持てあましてうつうつとすごす、というのは現代の世界の若者に共通した病理とは言えないだろうか。この問題、またいつか考えてみたい。