そしてその“異例さ”のダメ押しともなったのが、判決当日、朝日新聞デジタルに発表された1万2328字にも及ぶ本人の手記であった。これは、あらかじめ同紙女性記者あてに被告が郵送したものだったようだ。手書きの手記の実物の一部が公開されたが、ペン字の手本のような達筆だ。
内容は大きく分けて、「生い立ち」のパートと「逮捕以降の生活」のパート、そしてこれまた特異なことなのだが「社会的なメッセージ」のパートから成っている。文章はいわゆる“流麗”で、語彙はきわめて豊富。日ごろから文章を読んだり書いたりしなれている人、しかもビジネス書や実用書ではなく古典文学に親しんだ人でなければ書けないような文章だといえる。
「生い立ち」の部分は、自分がいかに上質で文化的な家庭生活を送ってきたか、ということが強調される。抜粋して引用しよう(以下、引用文は朝日新聞デジタル4月13日付)。「複数のお稽古事の教室に通い、高校時代の長い休みには、離れた都市のホテルに泊まり込み、大学受験予備校の講習を受けさせてくれました」「本格的なオーディオセット、ピアノとチェロとバイオリン、棚に並んだ多くの本とレコードと映画のビデオとLD。鍋や食器、大きなガスオーブンに調理道具」「父の影響で、小学生の頃から愛読していた朝日ジャーナル」といった具合だ。
しかし、知的、身体的にあまりに“早熟”だったゆえに、被告は孤独に陥り、「心の葛藤」を抱えることになった。そして、「屈折した奇妙な価値観を引きずったまま大人になり、自由奔放で浮世離れした暮らしがエスカレートし、ファンタジーの世界で生きることに逃避した」と言うのである。
この後半の自己分析は、おそらく被告の本質を表しているのだと思う。「こうあるべき」「こうあったはず」という自分と真実との境目が、自分でも定かではないのだろう。だとすると、前半の“上質な生活”の部分も被告によって空想された過去である可能性も出てくる。
次いでかなりの分量が取り調べや検察に対する厳しい批判に費やされるが、この部分については「なるほど」とうなずく人もいるかもしれない。
目を引くのは、それ以外の「社会的なメッセージ」の多さだ。この部分はまとまったパートとして独立しているわけではないのだが、自分について何かを語ったあと、必ずと言ってよいほど添えられている。たとえば、自分自身の生きづらさについて記してから、「一般女性からのお手紙に、現代の日本社会で女として生きていく大変さを打ち明けられることが多いことに仰天すると共に、これは意外に深刻でシリアスな問題だと捉えています」と書いたり、自分が勾留生活でいかに心のバランスを保ったかについて述べたあと、「メンタル疾患に悩む人が多いようですが、心の拠り所があれば、きっと大丈夫」と病んでいる人に呼びかけるような口調のフレーズがあったりする。さらに手記の末尾近くには、「現在の私には、文筆による表現しかできませんので、日々精進を重ね、今後私らしい何らかの形で、思いをお伝えしたいと考えております」と、社会に訴えかけることが自分の使命であるかのように宣言する箇所まである。
おそらく被告は、自分が特異な存在であるとともに、現代社会や女性をある意味で象徴するような存在であることに気づき、そこに「新しいアイデンティティー」を見出して、高揚感さえ感じているのかもしれない。しかし、裁判はファンタジーの舞台でもないし、被告はヒロインでもない。空想の主人公になどならなくても、現実の中で“ふつうの生活”をする幸せだってある。せめて私たちは、そのことに気づきたいものだ。