それと連動して、多くの市民団体や若者グループが「選挙に行こう!」とネット上でキャンペーンを行ったり、実際にイベントを開催したりしている。「ここまでやるのは選挙法に違反する?」とおっかなびっくりの面もあるが、「とにかくまずはやってみよう」と意欲的に政治参加する姿勢は評価してよいと思う。
またネットでの発信となると文字ばかりとはいかず、写真、動画などの視覚的な素材も多くなるからか、ヘアスタイル、洋服、女性の場合はメークなどをガラリと変えた候補者もいる。そういう人たちのイメージ戦略をビジネスとして担う、選挙コーディネーターなる職業にも注目が集まっている。
もちろん、入り口は何であるにせよ、最終的に重要なのは「どんな政策か」なのだから、髪形を少し変えるだけで多くの人が「この候補者の話、聞いてみようかな」とがぜん関心を持ってくれるようになるのだとしたら、それが悪いことであるはずがない。
しかしその一方で、「投票率はさらに低下するのでは」と心配する声もある。早くから与党の大勝がささやかれているこの選挙に対する有権者の関心は、全体としてはそれほど高くないのではないか、というのだ。たしかに告示直後から数日ごとに、大学で学生たちに「選挙の争点は?」「注目している候補は?」などと質問しているのだが、日がたっても「よくわからない」と答える学生の割合はあまり減らない。それよりも学生の最大の関心は、経団連が学生の就職活動の解禁時期を今より遅らせて、「大学3年生の3月」とする指針を正式に決めたこと。「2016年春卒業の学生から、ということはいまの2年生から?」「でも絶対、フライングする企業もあるよね」などとその話題に関しては話は尽きない。
この“格差”を、私たちはどう考えればよいのか。ネットの世界の一部、あるいは選挙コーディネーターやネット選挙のアドバイザーなどの新しい職種の人たち、そして意識の高い学生や若者、市民らだけが、受信、発信できる情報が格段に増えたことに興奮し、「新しい政治の季節の幕開けだ!」と盛り上がっている。ところがその他の人たちは、「ネットが使えないと選挙のこともわからなくなるの? じゃ、ますます関係ないな」と政治への関心をむしろ失いつつあるのではないだろうか。
本来は、候補者も市民団体なども「いよいよネット選挙」といっせいにそちらになだれ込むのではなく、これまでの紙メディアを使った選挙活動や地道な演説会などにも十分、力を注ぎつつ、その補助的な手段として「ネットも使う」という程度から始めるべきだったはずだ。「アプリ」「ブログ」といったカタカナ用語の羅列がかえって多くの人たちの政治ばなれを促す、という可能性を考慮したほうがよかったのだ。
しかも、若い人たちのあいだでさえ、いま急激にSNSばなれ、情報ばなれが起きている。ツイッターでトラブルが起きてうんざりしてアカウントを消した、スマホは持っているけれどゲーム以外ではあまり使わないという声を、診察室でも大学でもあたりまえのように聞く。
テレビもそれが誕生した時代には、「人を啓蒙する夢のメディア」と言われていた。いまその幻想はネットに仮託されているようだが、ユーザーはすでにその夢から覚めつつある。政治はひと足遅れて「今こそネット」と浮足立っているが、それがどんな結果をもたらすことになるのか。注意しながら見守りたい。