これを受けて、日本維新の会の中山成彬衆議院議員は、自身のツイッターにこんな意見を投稿した。「各地の図書館でアンネの日記が破られているというニュースに、瞬間日本人の感性ではない、日本人の仕業ではないと思った。ディスカウントジャパンに精出す国、安倍総理をヒットラーに例える国もある。図書館にも隠しカメラがあるの嫌だが、徹底して調べてほしい。不可解な事が多発する日本、要注意だ。」(原文ママ)
日本ではなくどこの国の人物、とまでは書かれていないが、ネットでは「やはり韓国か中国の仕業だ」「中山議員よく言った」といった声が一気に広がっている。他国の人がわざわざ東京の図書館で『アンネの日記』を破損するメリットなどないようにも思うが、一部には「ユダヤ人団体に日本人の犯行と思わせ、次いでアメリカにいるユダヤ人たちが日本にネガティブな感情を抱いて…」とそこから壮大な物語を作り上げる人もいる。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ではあるまいし、図書館の本を破損したことで最終的には日本を国際社会で孤立に追い込む、などというミッションが達成されるとはとても思えない。しかし、一度そういった物語づくりに着手し始めると、次々にそれに都合のよいエピソードを集めてきては、「ほらやっぱり」「これもそのサインだ」などと話が展開していく。これがまさに「陰謀論」だ。
『日経サイエンス』2014年2月号には「陰謀論をなぜ信じるか」という論文が載っていたが、それによると人が陰謀論に傾く最初の一歩は、「権威・権力に対する強い不信」であることが多いという。誰かを「信用ならない」と思ってしまうと、それに対する別の説明がいかに異様であっても、「権力に対する懐疑と整合している」というただその一点でそちらを信頼する傾向が人にはあるのだそうだ。
そして、いったん陰謀論を受け入れると、人はまともな科学的・政治的・社会的問題に注意を払おうとしなくなり、陰謀論を正当化してくれる情報のみに接するようになっていく、と論文は説明する。いまの日本であれば「新聞やテレビが言っていることはすべてウソ、ネットで流れる情報のみが真実」と思い込めば、あとは新聞などがどんなに陰謀論とはマッチしない情報を流しても「これもウソ、あっちもデタラメ」と全否定すればよい。そして、少しでも自分の思い込みとマッチする情報があれば、「ついにテレビも認めたか」とその情報だけをピックアップして取り込む。この雪だるま式のプロセスでは、いくら「その考えは間違っている」と正しい意見や情報を伝えても訂正はむずかしい。
陰謀論が崩れる可能性があるとすれば、それによってもたらされる結果が、自分にとってより不都合な場合であろう。たとえば「あの国から来ている人間は全員スパイだ」という陰謀論を信じている男性は、その国出身のすてきな女性と恋仲となった場合には、彼女と別れるという不都合を避けるために、「やっぱりみんながスパイだなんてナンセンスだ」と陰謀論を手放すのではないだろうか。
それにしても、この論文は、権威や権力に不信感を抱く一般の人たちがなぜ陰謀論を信じるかについては説得力のある解説をしてくれるが、冒頭に示したように、仮にも国会議員が何の証拠もないのに「日本人の仕業ではない」などとあまりに不用意な発言をする心理までは説明してくれない。論文の著者に尋ねても「そこまでは想定してなかったよ」とあきれられるのではないだろうか。