まずは石原伸晃環境大臣。原発事故により生じた大量の高濃度放射性廃棄物の中間貯蔵施設の建設をめぐる問題で、政府が候補地としている福島県大熊町と双葉町での住民説明会の報告を行った石原大臣が、ぶらさがり会見で記者団に次のように述べたのだ。
「(菅義偉官房長官には)住民説明会が終わったから今後の日程について話をした。最後は金目でしょ?」
住民への交付金などの金額で解決できるという意味にも聞こえるが、その後、「住民説明会で金銭の話がたくさん出たが、具体的内容は受け入れが決まるまで説明できないという意味だった」と発言の真意を釈明した。しかし、批判の高まりを受けて結局は謝罪、発言を撤回し、福島に出向いてふたつの町の首長と県知事に陳謝した。ただ、住民への直接的な謝罪はなく、仮設住宅で避難生活を余儀なくされている被災者などからは非難の声も上がっている。
さらに、東京都議会の本会議では、妊婦への公的支援拡充について質問していた塩村文夏(あやか)議員に対して女性差別的なヤジが浴びせられる、という問題が起きた。塩村議員が「残念なヤジが飛びました」とツイッターで報告、それを新聞などが伝え、ネットではあっという間に数万を超える抗議署名が集められた。その後、自由民主党の鈴木章浩都議会議員が、自身の発言だったことを認め、本人に直接、謝罪した。塩村議員によると、ヤジを飛ばした議員はほかにもいたとのこと。また都知事や議長も議会に出席しながら、たしなめようとはしなかった。
ヤジは「早く結婚すればいいんじゃない」「産めないのか」といった言葉だったと言われるが、テレビの情報番組の中には、「男っていうのはついこういった発言をしてしまうもの」などの路上インタビューでの声を取り上げ、これを「男女の意識差」の問題にしようとしているかのようなものもあった。
しかし、石原大臣の発言にしても都議会でのヤジにしても、「真意はどうだったか」「セクハラの意識があったか」といった問題ではないはずだ。ふるさとに帰れず苦しんでいる人が「金目でしょ」と、不妊などで悩む女性の代弁者が「産めないのか」と言われると、理由はどうあれ、その人たちの本質的な尊厳が傷つけられることになる。
それにしても、なぜ政治家はこうして「もっとも言ってはいけないこと」を平気で口にするのだろう。それはひとことで言えば、彼らが「有権者の代表」という“建前”とはかけ離れた保身、かけ引き、打算の世界で日ごろ生きているからではないか。彼らにとっては、人前で本心とは違ったきれいごとを言うことも、また逆にあえて攻撃的なセリフを口にしたり過激な行動を取ったりしながらその後、平気でその相手と談笑したりすることも、まさに日常茶飯事なのだろう。また、少々の言い過ぎがあっても、「そんなつもりじゃなかった」と言えば「まあ、お互いさま」と水に流してもらえるのが彼らの世界、ということかもしれない。
しかし、政治家ではない私たちは、そこまで刹那的にその場しのぎを繰り返したり、本音と異なるパフォーマンスに興じたりして暮らしているわけではない。一度、言われた言葉は、後になって撤回されても心に深く残ってしまう。
ただ、最近は「炎上ビジネス」などと呼んで、ネットであえて不謹慎な発言や暴言などをして注目を集めようとする人たちも出てきているようだ。悪い意味で、一般の人たちの“政治家化”が起こっているのだろうか。
言葉は、政治家の票集めやビジネスの手段ではない。心と心を交わし合うための大切なものだ。言葉の重みというものを政治家たちにもう一度、誰かが教えたほうがよいのではないだろうか。