被害者の男子は、2013年9月に家族の事情で島根県から川崎市の小学校に転校してきた。中学校に入ってからは部活で大好きなバスケットボールに励んでいたが、昨年、突然、退部したという。また今年に入ってからは学校にも来ていなかった。
その間、上級生や年長の少年がいるグループとともに行動する姿も見られたが、しばしば暴行を受けていた様子もあり、周囲には「(グループを)抜けたいが逃げ出せない」と話していた、という報道もある。
これだけ今回の悲劇につながるような情報があれば、まず浮かぶのは「なぜ救えなかったのか」ということだ。とくに親や教師など身近にいるおとなが少年の身に起きていた異変に気づき、介入することはできなかったのか。
そのあたりはこれから少しずつ明らかにされるはずだが、いじめ問題などにかかわってきた私の経験から言えば、「おとなの気づきと介入」は考えるよりずっとむずかしい場合が多い。子どもは、トラブルなどに巻き込まれるとまずおとなに隠そうとする。もちろん、中には「なんでも親に相談する」という子どももいるが、私の経験では逆にそういう“仲良し親子”ほど、決定的なことが起きたときには親にも口を閉ざすケースがあった。「心配かけたくない」「親にがっかりされたくない」というのがその理由だ。「親に口を出されるとかえって面倒なことになる」という場合もあった。いずれにしても、親は「ウチの子は何でも話してくれるから」と安心しきっているので、まさかわが子がひそかに悩んでいるとはまったく気づかないのだ。
またおとなの側が異変に気づき、子どもに「あなた最近、大丈夫なの?」などと聞いたとしても、そこで「何もないよ」と言われるとそれ以上、どうかかわってよいのかわからなくなる。とくに中学生くらいになると、おとなも本人の意志を尊重しようと思い、学校や外出先までついて行ったりするのをためらう。「大丈夫だと言っているのだから信じよう」と自分に言い聞かせているうちに、今回のような取り返しのつかない事態になることもある。
では、どうすれば未然にこのような悲劇を防ぐことができるのか。ひとつの対策は、親や教師のようにあまりに近すぎないおとな、たとえば塾の先生、近所の面倒見のよい住民、ときどき会う親戚、それもいなければ養護教諭やスクールカウンセラーなどが本人に接触し、少し積極的に「さあ、何かあるでしょう? 何でも話してみてよ」と促すことだ。介入しすぎる親には「うるさい! 放っておいて!」と反発する子どもも、第三者のおとなには直に心を開くことがある。
ただ問題は、いま子どものまわりにそういった信頼できる第三者がどんどんいなくなりつつあることだ。とくに今回の被害者のように遠くから転居してきた場合には、本人も親もなかなか地域に頼れる人はいなかったであろう。
誰にも言えない悩みを抱えている子どもが、気軽にSOSを発することができる相手。それを受け取り、親身になって話を聴いて、場合によっては現実的に解決する手助けをしてあげるおとな。いったい誰がその役割を担うべきか。いずれにしても、全国に大勢いるはずの「誰にも言えない」とひとりで悩む子どものために、きちんとした“仕組み”を作らなければならないのではないか。