協定からの離脱を表明するホワイトハウスでの演説では、「パリ協定は米経済にマイナスの影響を与えるだけでなく、環境保護という当初の目的も果たしていない」「(離脱しなければアメリカは)笑われる存在」といった極論を何の根拠を示すこともなく主張した。その中でもとくに驚いたのは、「私はパリ市民でなく、ピッツバーグ市民を代表して大統領に選ばれた」と言ったことだ(6月2日付、日経新聞電子版)。言うまでもないことだが、「パリ協定(Paris Agreement)」は気候変動に関する国際会議であるCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)が2015年、パリで開催された際に採択されたからそう呼ばれているのであって、「パリ市民が決めた協定」ではない。トランプ氏はそれを知った上で、この問題に知識のないアメリカ国民をミスリードするために意図的にそう言っているのか。それとも、自身も「パリなどと名のついた協定に協力なんかできるか」と思っているのか。いずれにしても、あまりに強烈な反知性主義に目まいがする。
『日経サイエンス』7月号は「トランプvs科学 Post-truthに抗う」と銘打った特集を組み、科学研究の予算を大幅に削減するなど、トランプ政権が学問、とりわけ科学を軽視する姿勢に警鐘を鳴らしている。この特集の中でとくに印象的だったのは、トランプ氏が軽んじているのは「科学の知見」というより「科学的な考え方そのもの」だと言っていることだ。「トランプ政権は、事実やデータを意に介さない」「支持者にとって報道に裏付けがあるかどうかは大きな問題ではない」と衝撃的なフレーズが続く。
では、何の根拠も裏付けもないトランプ氏や政権メンバーの発言が、なぜ支持され拡散されてきたのか。それはとりもなおさず、それらが彼らが「聴きたかったこと、信じたかったこと」だからだ。極端な話をするなら、「死は怖い」とおびえている人がいたとして、そこで誰かが「本当は人は死なないのです。死んだと見えてもまたすぐ生き返ります」と言えば、「やっぱりそうでしたか!」とその言葉にすがって信じてしまうかもしれない。「そうであってほしい」という願望や欲求のほうが強いので、「その証拠はありますか?」などと根拠を確かめようともしなくなる。もし確かめて「やっぱり間違いでした」と言われるのはさらに怖いので、自分の不安が解消される意見を聴いた段階で、強力に信じ、それを否定する意見に耳を貸さなくなるのだ。
さらにネット社会が「自分に都合の悪い事実」をかき消し、「信じたいデマやウソ」だけを拡散するのに一役買っている。ネットで多くの人の欲求を満たすデマが凄まじい勢いで拡散されていく現象を、メディア学者たちは「エコチェンバー(共鳴箱)」と呼んでいる。いったんこの現象が起きると、あとから「やっぱりあれは事実ではなかった」と訂正されても、そちらはまったく拡散されないという性質もある。トランプ氏はそういう意味で、自分のどんな発言がこの「共鳴箱」でよく響きやすいかをよく知っているのだ。
とはいえ、そのトランプ氏の手法に関心ばかりはしていられない。
私たちがこれまで長い年月をかけて培ってきた「科学的な見方、考え方」を手放すようなことがあれば、それは即、社会の崩壊、さらには人類や地球の危機にもつながっていくだろう。
「なるほど、そうか!」とカタルシスを感じさせてくれる発言、心地よさや安心を与えてくれる発言にいっそうの注意を払い、デマが「共鳴箱」で反響しないようにする。そのためにできること、すべきことは何なのか。これはアメリカだけの問題ではないことは言うまでもない。とくにマスコミ、教育者、科学者には、今こそ持てる英知や経験をすべて動員して対抗してもらいたいと思う。