東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の情報バラエティー『ニュース女子』で、2017年1月に放映された沖縄基地問題の特集回は、さまざまな問題をはらんでおり、放送の後、新聞などでも繰り返し取り上げられた。『ニュース女子』はDHCテレビジョン(旧・DHCシアター)という外部会社が制作し、そのまま流すだけの完成されたVTRの形(完全パッケージの略で「完パケ」という)で局に持ち込まれる番組である。
同特集は「マスコミが伝えない沖縄基地反対派の隠された真実を伝える」というふれ込みのもと、レポーターやナレーション、テロップなどで「基地反対派は逮捕されても影響が少ない高齢の“シルバー部隊”」「高江ヘリパッド建設予定地での反対運動は緊迫していて危険なので、取材を断念」などと伝え、また、地元の人たちにインタビューしたとして「反対活動で地元の救急車の走行に支障」「日当をもらって参加」「韓国人、中国人が反対運動をしているので地元は怒り心頭」といった内容の声や情報を取り上げ、それを受けてスタジオで有識者たちがトークをする、というものだった。何も知らずにこれを見た視聴者は、沖縄基地反対活動は日当目当てで集まった地元民以外によって暴力的な形で行われている、という印象を持つのではないだろうか。
この特集内容が基地反対運動の事実とは大きく異なる、という声が多く寄せられたのを受けて、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会は審議を重ね、同年12月14日、「重大な放送倫理違反があった」という重い判断を下し、意見書にまとめて発表した。
私は意見書公表の記者会見にも出席したが、同委員会の川端和治委員長によると、BPOの委員は沖縄にも赴いて、主に「救急車」「日当」のふたつに関して、関係者に聴き取り調査をするなどして事実関係を確認したそうだ。その結果、いずれも事実だという裏付けはなく、特に日当に関しては、その根拠とされた「2万」と書かれた封筒を番組で提示した人物自身が、「交通費だと思った。日当とは言っていない」と答えたのだという。記者会見では、BPO委員によるこれらの調査は比較的、簡単にできたことだったとも述べられた。番組を作るスタッフが裏付けを取れなかった、とは到底思えない。
しかし、BPOが「重大な放送倫理違反」と判断したのは、この番組が沖縄基地反対派をおとしめるためのデマ、ウソに彩られた番組だから、という理由とは微妙に違う。BPOは日本民間放送連盟(民放連)とNHKが作った第三者組織で、加盟社以外には影響力が及ばない。完パケのVTRを制作したDHCテレビジョンは加盟社ではないため、直接“もの申す”ことができないのだ。そのため、放送倫理違反の根拠は、これを放送したTOKYO MXが放送前のチェック、つまり考査を怠り、「放送してはならないものが放送された」から、といういささか隔靴掻痒(かっかそうよう)なものとなっていた。
もちろん、最大の問題と責任は、そもそもどこを取っても根拠に乏しい思いつきやデマにより構成された番組を、「隠された真実」として提供した制作会社にあることは言うまでもない。しかも、残念なことにこの番組や本放送後にインターネットで公開され続けている動画を見て、実際に喜ぶ視聴者がいるということはさらなる問題だ。
沖縄基地反対派の人たちは「地元の自然と安全を守りたい」という願いで声を上げているが、それは結果的に基地建設を進める日本政府の意向に逆らうものになっている。しかし、地元で実際に聞くと、彼らの多くは権力闘争がしたいのではない、静かに生活がしたいだけなのだ、と言う。その言葉には真実味がある。
それにもかかわらず、権力に逆らう者は叩き、笑いものにし、さらにメディアを使って彼らに関するデマやウワサをいくらでも流してよいのだ、という風潮が広まりつつある。本来メディアはそれを止めるのが役割のはずなのに、まったく逆のことをしているのだ。常識的に考えると、BPOから下される放送倫理違反の裁定は非常に重く、これまでその番組は打ち切りになったり、全面的にスタッフ交代をするなどのリニューアルを迫られたりした。
今回の報告書を受けてTOKYO MXは、「当社は、本件に関し、審議が開始されて以降、社内の考査体制の見直しを含め、改善に着手しております。改めて、今回の意見を真摯に受け止め、全社を挙げて再発防止に努めてまいります」とのコメントを発表している。しかし、番組を制作したDHCテレビジョンは、朝日新聞の取材に対して「1月に出した見解と相違ございません」と回答するにとどめた。「1月の見解」とは、「表現上問題があったとは考えておりません」など、番組には何の問題もなかったとするものである。
もちろん、BPOの意見書はあくまで意見書であり、罰則を与えるものではないが、このように「のれんに腕押し」で終わっては、「もうBPOにはまかせておられない」と行政指導が強化され、テレビの世界の表現や言論が委縮させられる結果にもなりかねないことを、制作会社は理解しているのだろうか。「意見書の意味」をTOKYO MXが制作会社に説明し、改善を求めることを強く願いたい。