朝鮮学校を高校授業料無償化の対象からはずした国の判断の是非を問う裁判で、2018年9月27日、大阪高等裁判所は「無償化の対象とするように」と国に命じた前年7月の一審判決を覆した。
高校授業料無償化の動きそのものは広がっており、現在は国公立だけではなく、私立高校や、さらには学校教育基本法の第1条で定められた学校に相当しない、「各種学校」「団体」扱いの高校でも就学支援金が支給されるようになっている。各種学校もしくは団体扱いで支援金が支給されている高校の一覧は文部科学省のサイト(「高等学校等就学支援金制度の対象として指定した外国人学校等の一覧」。外部サイトに接続します)に載っているが、多くはブラジル、韓国、フランスなどの外国人学校である。
この高校授業料無償化は、民主党政権だった2010年4月から導入され、当初は朝鮮学校もその対象となっていた。しかし自民・公明連立政権に交代後、12年12月、当時の下村博文文部科学大臣は朝鮮学校を無償化の対象としない方針を表明。それを受けて翌年に文科省が省令を改正し、朝鮮学校は対象から除外されることになった。
なぜ除外されたのか。下村文科大臣は12年12月の記者会見で、「拉致問題の進展がないこと」や朝鮮総連と「密接な関係」を理由として挙げ、現時点で無償化を適用することは国民の理解を得られないと語った。その上で「都道府県知事の認可を受け、学校教育法第1条に定める日本の高校となるか、又は北朝鮮との国交が回復すれば」適用の対象になると述べた。
つまり日本と北朝鮮との関係が緊張している状況では、北朝鮮との関連が深い学校の授業料を無償のままにはしておけない、ということだ。北朝鮮に対する制裁の一環という意味もあったのだろうか。そしてその頃、朝鮮学校の授業内容についても「金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)を礼賛し、主体(チュチェ)思想を教え込んでいる」「日本語はいっさい禁止」などとその“異様さ”を取り上げる情報が、裏付けもないまま、さかんに拡散された。
しかし、無償化対象からの除外という措置に対して、全国で五つの朝鮮学校の学校法人や元生徒が「無償化の対象外にするのは不当」と訴え、国を相手取って裁判を起こした。判決は各地方裁判所で分かれたが、17年7月、大阪地裁では「教育の機会均等の確保をうたった無償化法の趣旨に反している」との判断で、原告側(大阪朝鮮高級学校などを運営する大阪朝鮮学園)が勝訴。地裁は国に処分を取り消し、無償化の義務を果たすよう命じていた。
ところが今回の高裁判決では、朝鮮学校は北朝鮮や朝鮮総連から「教育の自主性をゆがめるような『不当な支配』を受けている疑いがある」と指摘し、「適正な学校運営」という無償化の要件が満たされていないので、国の処分は違法ではないとの判断から、一審の判決を退けたのだ。
朝鮮学校はもともと、第二次世界大戦後、朝鮮語を話せない在日朝鮮人子弟に言葉を教えるための「国語講習所」として設けられた民族教育の場が、学校の形に発展したものだ。
ではその人たちはなぜ朝鮮語を話せないのか。それは、朝鮮半島が日本の植民地となり、親や祖父母が日本にやってきて定住してから生まれ、日本で育った子どもたちだからだ。植民地ではなくなった後も、さまざまな事情で祖国に戻れない在日朝鮮人が、「日本での暮らしを続けながらも、自分たちの言葉や文化を取り戻したい」と願って生まれたのが朝鮮学校なのだ。
たとえばいま、日本では北海道を中心としてアイヌが自分たちの言葉を守るためにアイヌ語教室を開いているが、その人たちの多くもアイヌ語を禁じられた後に生まれた世代だ。好きで自分たちの言葉や文化を捨てたわけではない人たちが、時がきてそれを取り戻したい、守りたいと願うのは、自然なことではないだろうか。
朝鮮学校の問題にくわしい知人にきいたところ、最近は極端な金日成賛美などはなく、「日本で朝鮮人としてのアイデンティティーを保ちながら生きていくために」という目的のもと、常識的な授業が行われているという。私は残念ながらまだ訪れる機会がないのだが、朝鮮学校の中には「いつでも授業参観に来てください」と門戸を開いているところもある。
政治の問題と子どもたちが教育を受ける権利は、本来、切り離されるべきだ。とくに東アジアが平和構築へと舵を切ろうとしている中で、あなたたちの学校は、日本で就学支援の対象とされている教育機関ではない、という判断を突きつけられた朝鮮学校の関係者は、どんな気持ちなのだろう。何よりも、子どもたちが傷ついていないか、ということがいちばん心配だ。大阪朝鮮学園は最高裁判所に控訴すると表明しているが、「子どもたちが学ぶ権利」がどれほど守られるのか。日本が問われる裁判になると思う。
主体(チュチェ)思想
故・金日成〈キム・イルソン〉北朝鮮国家主席が提唱した北朝鮮の指導理念。