新型コロナウイルスの流行が世界規模で続いている。6月18日には1日当たりで過去最多となる15万人以上の新規感染者が確認され、19日、世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長は「世界は危険な新局面に入った」と警鐘を鳴らした。
現在の流行の中心は中南米と見られているが、日本でもここにきて感染者数が増えつつある。私は週に1度、コロナ感染が疑われる患者専用の外来がある病院で診療をしているが、5月はじめには日にゼロかせいぜい1人だった検査対象者が、5月末あたりから「日に数人」レベルに増えてきた印象がある。
そういう中で、6月19日から国内の移動制限は解除され、旅行やイベントも条件つきとはいえ“解禁”になった。通学、通勤で電車や駅にも通常の混雑が戻りつつある。感染者が減る要素はどこにもない、とも言える。幸いにしていまは重症者の数はそれほど多くないが、まったく油断はできないのである。
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3月から4月にかけてコロナウイルスの感染者が爆発的に増えたヨーロッパでは、事態はより悲惨であった。人工呼吸器や集中治療室のベッドが足りなくなり、重症の患者にも十分な治療ができない、いわゆる「医療崩壊」が起きていることが連日のように報道された。さらにその中で、限られた台数の人工呼吸器を誰につけるか、という「命の選別」を行わざるをえない場面もあったようだ。
たとえば4月5日の朝日新聞(電子版)では、「父の人工呼吸器、電話で『若者に回す』 命の選別に絶望」というスペインの衝撃的な事例が紹介された。記事によると、感染が判明して入院した80歳の父親の主治医から47歳の息子に電話がかかってきて、「死なせることを許してほしい。75歳以上の高齢者は治療できない。人工呼吸器はつけられない。若い患者に回さないといけないから」と告げられたのだそうだ。主治医は涙声だったという。父親はそのまま亡くなった。息子は朝日新聞からの取材に、「『国が父を死なせた。日本はスペインの経験から学んでほしい』と憤」ったとある。
その後、日本でも一時はコロナ感染での入院が増え、現場の緊張も高まった。安倍晋三総理は4月半ば、人工呼吸器1万5000台の確保を表明し、国内メーカーに「さらなる増産を」と求めたという。その後、国内では4月末から患者数が減少に転じたため、実際には「呼吸器が足りなくなり『命の選別』をしなければならない」という事態には至らずにすんだ。
ただ、冒頭でも述べたように、ここにきてまた感染者数は増えてきており、この先、重症者が再び病院のベッドを占有する日がこないとも限らない。いや、夏場にかけては重症化は抑えられても、秋から冬にかけては確実にこの春と同じかそれ以上の流行が国内でも起きるはず、という意見が専門家の間でも出ている。日本では人工呼吸器が不足することはない、などと言い切れる人は誰もいないのである。
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『週刊新潮』に連載されている医療コラム「医の中の蛙」で、著者の里見清一氏は職場である日本赤十字社医療センターで新型コロナウイルス感染症の治療に奮闘する日常を連続して綴っている。同誌5月28日号では、この感染症での死亡がいかに苛酷なものであるかを記して、「つくづく、長生きは不幸だと感じる」と言う。苛酷さが年齢によって違いがあるとも思えないが、里見医師はおそらく、長生きしたのに感染の危険から家族に看取られることもなくこの世を去らねばならない高齢者を目にして、このように感じたのであろう。
そして里見医師は、「ピッツバーグ大学が、重症者治療での人工呼吸器やICU使用の優先順位ガイドラインを出している」と紹介し、「その一つに『若者優先』がある」とする。
里見医師が指すのは、ピッツバーグ大学の救急救命科のダグラス・ホワイト教授らが作成し、4月15日に発表した「緊急事態において限られた医療資源をどう配分するか」の評価基準のことであろう(原文は英語、筆者訳、以下同)。ネットに公開されている実際の評価基準を見ると、たしかに「退院した場合の予測寿命」は項目のひとつになっているものの、ほかにもいくつもの条件を考慮した上で判断が下される仕組みになっており、単純に「若者優先」で人工呼吸器を使用してもらう、といったものではないことがわかる。
里見医師はコラムをこう締めくくる。「もうすぐこういう『年齢トリアージ』は日本でも喫緊の課題になるだろう。いつまで『生命は平等で、地球より重い』の一つ覚えが通用するのだろうか。」トリアージとは、「患者の重症度をその場で評価して、治療の優先度を決定すること」を意味する災害医療や救急医療で使われる用語だが、『「人生百年」という不幸』(新潮新書)という著書もある里見医師は、はっきりと言ってはいないが、新型コロナでもそうでなくても、医療現場では年齢や残りの予測寿命を確認、評価して、「若者優先」で医療を行ってもよいはずだ、と「年齢による選別」を容認したいのではないだろうか。
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もちろん、「選別」じたいは医療現場では日常的に行われている。たとえば私の勤務する診療所の待合室にも、「患者さまの状況によって診察の順番が番号通りではないことがありますがご理解ください」というお知らせが貼られている。受付で「とても具合が悪い」と訴える患者さんがいる場合、診察室に連絡が来て、受付番号に関係なく先に診察することはよくある。あるいは、インフルエンザワクチンの接種を希望する親子が来て、ワクチンの残りが1本の場合、「じゃお子さんに先に打って、お母さんは次回にしましょうか」と提案することもある。救急医療や臓器移植医療に携わっている人は、もっとハードな選別をする場面もあるだろう。とはいえ、新型コロナウイルス感染症の場合、いざ感染爆発が起きてしまうと、その選別の機会も爆発的に増えることになる。
先に紹介したスペインのケースでは、80歳の父親に人工呼吸器は使えない、と医者から告げられた47歳の息子は「憤っていた」と伝えられる。里見医師が考えるように、「つくづく、長生きは不幸」だから「若者優先」でどうぞ、などとは言わなかったのだ。
もし、日本でも人工呼吸器が不足するような事態が起きた場合はどうなるのだろう。スペインでのケースのように、「親を死なせるなんて許せない」と憤る人が続出するのだろうか。あるいは、高齢者も「もし私がコロナになったらちゃんと人工呼吸器を使ってくれ」と言うだろうか。
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どうもそうではなさそう、ということが、あるカードの提案により示された。そのカードとは、大阪の医師が高齢者向けに「集中治療を譲る意志」を表示するもの、として作成した通称「譲(ゆずる)カード」だ。このカードは、発電型健康用具の普及を目的として作られた「日本原始力発電所協会」という一般社団法人のホームページで4月8日に公表された。カードの説明の一部を引用しよう。
「イタリアでは回復見込みの少ない高齢者の人工呼吸器を取り外して若い人に使用すると言う『命の選択』が始まっています。ただでさえ忙しい医療関係者に『命の選択』まで迫るのは酷な話です。では医療関係者がそのような苦渋の判断をする苦労を少なくするにはどうすれば良いでしょうか?
それは我々高齢者が『高度医療を万が一の時に若者に譲ると言う意思』を示せば良いのではないでしょうか?」
考案した石蔵文信氏は、64歳の現役循環器内科医である。ただ、インタビューでは自身も前立腺がんを患っており、「助かる可能性が高い若い人の治療を優先してほしい」とこのカードに署名して保持していると語っているので、「選ぶ側」としてだけではなくて「譲る側」の一員としても作ったのかもしれない。
石蔵医師がこのカードを公表するとサイトへのアクセスが増え、テレビの情報番組からもコメントを求められるなど、次第に注目が集まっていく。