以降、80年代を通じて各種様々な「ジャパン本」が続々と出版されて行きました。礼賛論あり、脅威論あり。日本は強い。強いだけでなく、とてもリッチにもなりつつある。怖いような、うらやましいような。あこがれちゃうような、くやしいような。そんな複雑な思いに駆られつつ、世界が日本に注目していたのです。
この感じ、今の世界が誰かに対して抱いている感じに良く似ていませんか? そう、今や、世界の書店は「チャイナ本」であふれかえっています。実際に「チャイナ・アズ・ナンバー・ワン」というタイトルの本も既に出ています。
このところ、日本のGDP(国内総生産)が中国に抜かれたとか、投資額にしろ、ハイテク産業の競争力にしろ、何かにつけて日本が中国に後れを取るようになったという話題が多いですね。欧米メディアでもそれなりに取り上げていますし、何か、それでパニックしたり落ち込んだりしなければいけないような雰囲気が漂う今日このごろです。
パニックする気持ちも分かりますが、考え方によっては、これはそれなりに感動的な場面でもあります。要は、それだけ日本が大人になったということです。少し前までの日本は、世界の先進国にとって「追い上げて来る日本」だった。その勢いをみてすごいなぁと思う半面、やっぱり新参者扱いしたくなる感覚がそこにつきまとう。そのような感覚でみられて来た日本が、いまや、その同じ感覚で中国をみるようになっている。それだけベテランになり、古参の地位に昇格したということです。
「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」時代に欧米諸国が日本をみていた目。それと同じ目で、今、日本が中国をみようとしている。それが歴史というものですが、それにしても、これだけでは、いささか学習効果がなくて知恵不足だとも思います。
どう考えても、経済の規模や成長速度の点で日本が中国に追い抜かれるのは当然です。中国は超育ち盛りの経済です。日本は超成熟経済です。そんな日本が、いわば老骨にむち打って若き中国と力こぶの大きさを競いあっても意味がないでしょう。力こぶは若者に任せて、成熟国家は知性と見識で勝負すればいい。
そもそも、「勝負する」という言い方がよくありませんね。大人の日本は、若き中国に対して良き相談相手になってあげられればいいと思います。今さら聞けない。誰にも聞けない。そんなことを日本になら中国は聞ける。そんな関係が両者の間に形成されて行けばいいと思います。
そこで問題になるのが、どこまで日本が古参の風格を身につけることが出来るかです。行く先々で中国に後れを取る。ついでに韓国にも後塵(こうじん)を拝する。こうした現状に関する産業・企業の危機感を、軽視するつもりは決してありません。ですが、その同じ思いを「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」時代に抱いたアメリカやヨーロッパも、日本の勢いにのまれて消滅したわけではありません。成熟した賢者としての位置づけをどう構築していくか。ゆとりある大人として、パワー炸裂(さくれつ)の若者とどう二人三脚を組んでいくか。そこがポイントなのではないでしょうか。
日本と中国の二人三脚は、さながらドン・キホーテとスーパーマンが手を組んだ関係でしょう。知力と筋力の絶妙コンビです。中国に知力がないとか、日本に筋力が全くなくなっていると言いたいわけではありません。年の功と若さの勢いのイメージです。不可能を可能に出来る組み合わせの感じがしませんか?