「今となっては本当に必要だといわざるを得ない」。どうしても、この答えになってしまいます。そもそも、こうしかいいようがないところに、最大の問題があるといえるでしょう。
もちろん、ほかにもやるべきことはあります。膨れ上がり過ぎた歳出規模は、明らかに、ダウンサイズしなければなりません。高くなり過ぎた支出水準を放置して、それに歳入のレベルをさや寄せしようとするのでは、いくら頑張っても、財政再建はできません。
ですが、それにしても、この期に及んで消費税増税抜きの財政再建を夢見るのは、いかにも非現実的です。
ただ、この事態について、政府と行政は、何はともあれ、とことん反省することが必要です。そして、とことん、意を尽くして、なぜこんなことになったのかを国民に説明してもらわなければなりません。
説明できるためには、まずは、彼ら自身が問題の所在をきちんと理解しなければいけません。自分が解っていないことを、人に説得力をもって説明することはできません。この辺の詰めが、彼らは著しく甘いと思います。
そもそも、消費税を増税論議の脈絡の中でしか、語れないところがお粗末です。日本の租税体系は、いまや、あまりにも古臭い。
その前提となっているのが、日本の国内には、日本人しか住んでいないという発想です。そして、そのあらかたはサラリーマンであると想定している。それらのサラリーマンたちから、源泉課税方式で所得税を取ることばかり考えてきたのです。
ところが、世はヒト・モノ・カネが国境を越えるグローバル時代です。サラリーマンとして、正規雇用の枠組みの中にとどまれる人々の数はどんどん少なくなっています。そうした中で、旧来型の租税体系を放置しておけば、税収は落ちて当然です。
確かに、租税収入の中に占める消費税の割合は上昇しています。ですが、これは所得税による税収が伸び悩んでいることの裏返しの結果に過ぎません。ただでさえ所得税による収税力が落ちているのに、所得税の最高税率の引き下げも、繰り返し実施されてきました。それに伴う税収減も見落とせません。
日本の租税体系を、日本経済の現実にふさわしい姿につくり変える。消費税問題は、この観点から、もっとずっと早くから議論されてきて然るべきでした。日本人の頭数はどんどん減って行く。日本国内にはもはや、日本人しか住んでいないわけではなくなった。サラリーマン社会は次第に縮まって行く。
こうした経済社会環境の中で、行財政サービスの量的・質的水準を維持していくためには、どのような租税体系が必要か。こう考えれば、答えは単純です。課税対象を所得から消費に、そして、日本人から日本在住者に切り替えて行くしかありません。その意味で、消費税への依存度が高まるのは、合理的な選択です。
この視点をすっ飛ばして、単なる赤字穴埋め手段としてしか、消費税問題を議論の俎上に載せられない。ここが、何とも情けなく、苛立たしいところです。
「今となってはやむを得ない」のではなくて、「今だからこそ、やることに意味がある」といえた時期があったはずです。だが、今となっては、「今となっては」というしかない。
これを、「手遅れの経済学」と命名したいと思います。