二度と再び、欧州の地で欧州人同士が殺し合う大戦を起こすまじ。その誓いに魂を吹き込むには、統合こそが合い言葉。それがあの時のチャーチルの思いでした。
あれから60年余りの歳月が流れた今、もしチャーチルが草葉の陰から欧州政界にカムバックして来たら、彼はどんなメッセージを発するでしょうか。それは恐らく、「欧州よ、解体すべし」になるだろう。筆者にはそう思えてなりません。
ギリシャを初めとする南欧諸国の債務危機を巡って、ユーロ圏が大揺れに揺れています。この激震を治めるために、今、一番良く効く特効薬は、結局のところ、ユーロ圏そのものの解体だと思うのです。
体質が違い、構造が違い、成熟度が違う。そのような者たちがお互いに上手くやって行けるのは、どのような場合でしょうか。
誰にとっても帯に短くたすきに長い統一ルールを、無理やりに押し付けられた場合でしょうか。体型が違い、体重が違い、背丈が違う人々が、それぞれ、最も美しく見えるのは、どのような時でしょうか。誰もが、お仕着せワンサイズの制服をまとうことを強要される時でしょうか。
統一ルールもワンサイズ制服も、正解でないことは明らかです。誰もがその体質にあった振る舞いを許される。誰もが、その身の丈にピッタリサイズの身なりを許される。そんな時こそ、多様なる人々の中に同志的思いと帰属意識と求心力が芽生えるはずです。
ところが、今の統合欧州には、求心力の源となるはずの包容力がありません。多様なる者たちを多様なままで包摂する大らかさ。それが欠落した状態では、まとまる話もまとまらなくて当たり前です。
今の有り様を目の当たりにした時、チャーチルは「こんなはずじゃなかった」と嘆きの声を上げるでしょう。雄弁家をもって鳴る彼ですが、「あの時ばかりは我が言葉足らずであった」と反省するに違いありません。「欧州よ統合せよ、だが、多様なままで」。そう言うべきだったと、さぞや悔やむことでしょう。
ギリシャはギリシャらしく。ドイツはドイツらしく。それぞれ我が道を行きながら、仲よくし、支え合い、知恵を分かち合う。これこそが、真の統合の姿でしょう。お仕着せワンサイズは、誰も幸福にすることはありません。ユーロという単一通貨、そしてその単一通貨を維持するための一つの金利。この仕組みが今のユーロ危機の根本の原因なのです。
それなのに、今、彼らは財政も一つにしなければダメだ、という方向に話を進めようとしています。これでは、ますます、誰もが窮屈になるばかりです。
無理やり家族になれば、お互いに疲れるばかり。そろそろ、親しき他人として絆を深める方向を改めて模索してはどうだろう。きっとチャーチルもそう言うに違いないと思うところです。