「エンプロイ」は「雇う」の意です。「アビリティー」は能力や可能性、あるいは「何々出来る」を意味します。そこで、「エンプロイアビリティー」を日本語に訳せば、「被雇用能力」という感じになります。つまり、雇用対象となる能力です。いわば「雇われ力」ですね。雇ってもらえる力がある。雇いたいと思ってもらうに足る資質や能力が備わっている。そのような内容を指すのがエンプロイアビリティーという言葉です。
つぶしが利く度合い。それがエンプロイアビリティーだと言ってもいいでしょう。「あの人はエンプロイアビリティーが高い」と言えば、「あいつ、つぶしが利くからなぁ」という感じになります。
エンプロイアビリティーの反対は「アンエンプロイアビリティー」です。つぶしが利かない。雇われ力が低い。そういうことです。
このように見なされてしまえば、アンエンプロイアブルな人間だと、レッテルを貼られてしまうことになります。長く失業状態が続くと、人間は次第につぶしが利かなくなります。雇われ力が低下するわけです。現役時代はいくらITの名手でも、しばらく職場から遠ざかっていれば、腕はどうしてもさび付いていきます。
結婚や出産で女性が退職すると、職場復帰はなかなか難しい場合が多いですよね。それには家庭の事情や制約もありますが、雇われ力の低下問題も無視出来ないと思います。
最近、日本でにわかに人手不足が話題を呼ぶようになっていますよね。これを景気回復の証左だと見ていいのでしょうか。ひょっとすると、これはむしろ雇われ力低下現象の結果かもしれません。そう捉えるべきではないのか。そう思えてならないのです。
デフレ下の厳しい合理化のおかげで、多くの技能労働者たちが職場を追われてきました。何とか職にはありつけても、本来の高度技術を発揮出来ない。雇われ力の低下につながる仕事に甘んじることを強いられている。そんな方々が少なくないと思います。現に、建設業では鉄筋工や左官職など、技能労働者の数が激減しているのです。
雇われ力の低下を放置したまま、いくら成長を煽り、需要を増やすことにまい進しても、人手不足が深刻化するばかりです。その中で、賃金水準だけがむやみに釣り上げられる。そのようになれば、中小零細企業は人材確保が行き詰まります。人手が手当て出来ないために、業務を縮小せざるを得ない。既に、そんなケースが発生しています。このままでいけば、業務縮減を通り越して、人手不足倒産に陥る企業も出てくるかもしれません。こんなに本末転倒な話もないでしょう。
エンプロイアビリティーが低下する中の人の取り合いは不毛です。もっと、人々の失われた雇われ力を再強化する方向で、手立てや支援が考えられるべきでしょう。