これは、中国史上の大思想家、かの孔子先生の言葉です。70歳ともなれば、このような状態に到達するものだ。孔子はそのように言っているのです。
「心の欲する所に従」うとは、自分の思った通りに振る舞うということです。要は、やりたい放題、好き放題に行動するというわけです。しかしながら、「矩を踰えず」とは、どんなに好き勝手をしても、ルール違反はしない、社会的に許されないような生き方にはならない、ということです。この場合の「矩」とは規範とか節度、あるいは規律を意味しています。
とことん、自分らしい生き方を貫く。やりたいことをやりたいようにやる。だが、決して世間にご迷惑をかけたり、人さまを痛めつけるようなことにはならない。自我と倫理の間の絶妙なバランスを、労せずして達成することが出来てしまう。これぞ悟りの境地だ。孔子先生はそう言っているのです。
この「心の欲する所に従えども矩を踰えず」は、人間の生き方として理想の境地だといえるでしょう。同時に、筆者にはこれが経済活動というもののあるべき姿だと思えるのです。
経済活動においては、利益追求が大きな目的になります。その意味で、経済活動とは、すなわち欲望の貫徹を目指す活動だ、という風に解釈されます。人間の欲と欲とが裸でぶつかり合う。それが市場だ。市場と倫理は無関係だ。とかく、そのように考えられがちです。
しかしながら、これは少々違うと筆者は思います。経済活動は人間の営みです。そうである以上、そこにもまた、孔子先生が言われるような行動原理が当てはまってしかるべきところでしょう。
経済活動において、確かに人間は「心が欲する所に従」って自分の利益を追求します。「心の欲する所に従」ってやりたい新規事業を立ち上げたり、新商品を開発したりするのです。ですが、そのことが「矩を踰える」ことは、経済活動が人間の営みである以上、やっぱり許されない。
どんなにもうかる事業でも、どんなに大ヒット間違いない新商品でも、それが誰かを傷つけたり、世の中をかき乱したり、環境を破壊したりするのであれば、それらの存在を認めるわけにはいかない。それが経済活動の基本原理だと思うのです。
その意味で、経済活動においてもまた、自我と倫理との間のバランスを取るのが当たり前。そのバランスを労せずして発見し、労せずして保てるようになる。それが真の経済人の在り方だと思うところです。
ところで、皆さんはお気づき下さっているでしょうか。「矩を踰えず」の「矩」は、筆者の名前、「矩子」の「矩」です。かくして、誰も矩子を踰えることは出来ない! なーんちゃって。失礼いたしました。