それを考えれば考えるほど、なかなか、今、このスペースに何を書くべきかが思い浮かびません。こんな時、経済の観点から言えることは何だろう。何か、多少ともお役に立つことが言えるだろうか。何とも、悩ましいところです。
一つ、怖いと思うことはあります。注意を要するな、と思う点です。それは、「合成の誤謬(ごびゅう)」の問題です。以前にも、この欄で少し取り上げたことがあったと思いますが、合成の誤謬とは、一人一人にとっていいことが、全員にとってもいいことだとは限らない、という現象を指す言い方です。
つまり、誰もが個別的に正解だと思う対応をしていても、それらの個別的正解を合成すると、全体としては不正解になってしまう。これが合成の誤謬の問題です。
東日本大震災の時、この問題が発生しました。直接的な被災地の問題ではありませんでしたが、あの大災害を前にして、人々が各地で生活物資の買いだめに走るという現象が起きました。
個別的にみれば、この行動は決して責めるに値するものではありません。先行き不安の中で、必要物資を備蓄するという行為は、至って合理的なものです。ですが、この個別的には合理的な行動を多くの人々がとった結果、世の中全体としては、物資不足という極めて不合理な結果を招いてしまったのです。
被災地への支援に当たっても、合成の誤謬が発生する懸念はあると思います。
個別的な支援者や支援機関が、それぞれに合理的だと思われる支援行動をとる。それなのに、全体としてみれば、思うような成果が出てこない。最も必要とされている支援が、最も必要としている人々の手に届かない。このような合成の誤謬が発生しないか、気掛かりです。
それをどう防ぐのか。誰かが、常にそれを意識し、一連の支援行動を全体としてモニタリング出来ればいいですね。誰かが、総合調整の役割を果たせることを祈ります。それが出来るのは誰か。それをすべきなのは誰か。
合成の誤謬は、組織や仕組みに縦割り的性格が強い時、殊の外発生しやすいのだと思います。そして、あいにく、日本の行政も経営も、概して縦割り方式に引き寄せられやすい体質を持っています。縦割りよりは横連携。これが、合成の誤謬を回避するための基礎条件であるように思います。
我々は、果たして、この条件を満たすことが出来るようになるでしょうか。