お仕事はフリーランスで。お買い物はキャッシュレスで。これぞ今的生き方。我々にそう思い込ませる。どうも、そんな企みが進行中であるような気がします。
皆さんの中にも、フリーランスでお仕事をされている方が少なくないかと思います。フリーランスの生き方はなかなかすてきですよね。自分がやりたいことを自分がやりたい時に、自分がやりたい場所でやる。そのことが専門性を生かした報酬の獲得につながる。こうしてみれば、フリーランサーであることの良さは限りないように思えます。無論、いわゆる正規雇用型の仕事が限られていく中で、生計を立てていく上で実用的な選択でもあるわけです。
ただ、ここで忘れてはいけない問題が一つあります。それは、フリーランスになるということは、制約から自由であると同時に、保護の枠組みからもフリーになってしまうのだという点です。なぜなら、今日の労働法制は、基本的に雇用契約に基づいて特定企業のために働く「従業員」のための保護の枠組みだからです。
洋の東西を問わず、今の世の中、人々のフリーランス化が進む傾向にあります。この流れに対応して、多くの国々が「従業員」ではない働き手の権利擁護のために、新たな枠組みを構築しようとしています。日本でも、そうした対応が無いわけではありません。
ただ、日本の場合、このテーマに関して他の国々とかなり異なる側面が二つあります。第一に、日本では、政府が政策的にフリーランス化をプロモーションしています。そのために中心的な役割を果たしているのが、経済産業省です。第二に、フリーランス化を推奨している割には、フリーランサーのための法的擁護の体制づくりは遅れています。遅れているというよりは、どうも、本気で取り組むつもりがあるようには思えないのです。
安上がりに使いまくりやすい労働者。フリーランサーたちが、そのように位置付けられてしまうことがあってはなりません。
キャッシュレス化も、やはり経済産業省が大いに推進しようとしています。そもそも、キャッシュレス化という言い方が不正確です。キャッシュレス化という表現が指しているのは、紙幣や硬貨が使われなくなるということです。キャッシュすなわち現金が消えて無くなるわけではありません。物理的な紙や金属の代わりに、電子的な記号を使って現金取引をする。つまり、物理現金から電子現金への切り替えです。この点は認識しておきたいところです。
日本はキャッシュレス化が遅れている。それが経産省の言い分です。中国も韓国も、どんどんキャッシュレス化を進めている。日本だけが取り残されていくのはまずい。そんな論調の普及に努めている観が濃厚です。
これがどうも怪しげです。電子現金による取引は追跡が容易で匿名性がありません。我々の通貨的行動や資産状況が、下手をすれば、電子的現金取引の管理者には丸見えです。逆に、我々には、電子化してしまった自分の資産が目に見えなくなります。銀行預金を取り崩して紙幣化することが出来なくなれば、自分のカネであって自分のカネではないような世界に、自分のカネが吸い込まれてしまう。どうして、このような世界に行くことを急がなければならないのか。
フリーランス化することが、本当の自由につながるのか。キャッシュレス化することが、本当に必要なことなのか。「フリーランスでキャッシュレス」になることは、実は安上がりにこき使われながら、自分の資産が自分の資産でなくなることにつながらないのか。こき使われているうちに、本当に文字通りのキャッシュレス(=金欠)になってしまいはしないだろうか。じっくり考える必要があると思うのです。