前回話した、内村さんがアメリカで自分の〝悪〟と向き合ったエピソードも、あわせて思い出してください。
それでも、どんなに頑張っても、〝悪〟を完全に取り除くことはむずかしいのかもしれません。でも、自分一人の時だけでなく、敵の前でも、自分自身の〝悪〟と向き合うことができれば……。左の頬を敵に殴られるその瞬間にも、〝自分も他人もみんな滅びればいい〟と思う自分の心を、見つめることができれば……。そうすれば、おそろしい「非暴力」の力がおとなしさの中に生まれ、敵に伝わるのかもしれません。
内村さんはよく、こんなふうに語っていました。イエスの死をさかいに、〝律法〟(『旧約聖書』に書かれた、信仰上の細かい決まりや、道徳的ないましめのことです)にしばられていた時代が終わり、自由の時代がはじまった、って。
やはり、この自由の時代というのがどんな時代なのか、イメージしづらいですよね。
ガンディーの「市民的不服従」は、インドがイギリスから独立するきっかけになりました。ガンディーの行動によって、インドの人々は勇気づけられ、背中を押されたのでしょう。自分たちをしばっている法律がすべてではない。自分たちはもっと別の秩序を、新たに生み出せるはずだ、って。たぶん、その別の秩序っていうのは、敵がいない世界ではありません。自他の死を願う心と、向き合えること。敵に、「非暴力」の力を手渡せること。わたしもまた誰かの敵として、その誰かから、「非暴力」の力を手渡されること。これらを助けてくれるのが、新しい別の秩序なのだと、わたしは思います。
そして、その先に、自由が、平和が、見えてくるのではないでしょうか。
あらためて、なぜ、絶対に戦争をしてはいけないのか
これまでの連載の中で、いちばん読みにくい、抽象的な内容になってしまいました。ごめんなさい。はじめに書いた、〝絶対〟の根拠も、結局わかりませんでした。
わたしの力量が足りないせいですが、他にも理由があります。人間はこれまで、ほんとうに平和な世界で生きたことがありません。じつはまだ誰も、平和を知らないのです。だから、平和について考えるのはとてもむずかしいのです。内村さんが亡くなった翌年(1931年)、満洲事変が起こります。ガンディーは、インド国内で激しい宗教対立が巻き起こる中、1948年に暗殺されました。イエスの物語に感動し、「非暴力」の力を信じた二人は、世界が「非暴力」とは真逆の方向に進むのを見ながら、死んだのです。
内村さんは一度、講演で、非戦論は「絶対の真理」ではない、と語りました。※10 なぜ、絶対に戦争をしてはいけないのか。わたしたちは、〝絶対〟と言える根拠をまだ手に入れていません。だからこそ、それを求めて、試行錯誤し続けよう。内村さんのことばをそのように受け取って、今回は終わりますね。
※1
「余が非戦論者となりし由来」(『内村鑑三全集』12巻、岩波書店)424頁をわたしなりにかみ砕いて書きました。
※2
「平和の福音(絶対的非戦主義)」(『内村鑑三全集』11巻、岩波書店)407頁
※3
『新約聖書』の中の「マタイ福音書」5章の文章を、わたしなりにかみ砕いて、読みやすいことばづかいに変更しました。
※4
『ガンジー自伝』蠟山芳郎訳、中公文庫 102頁
※5
「羅馬書の研究」(『内村鑑三全集』26巻、岩波書店)406‐407頁
※6
たとえば「良心的兵役拒否」も、古くからあった「市民的不服従」の一種です。 昔から多くの国で、兵役(一定期間、軍隊の仕事につくこと)が国民に義務付けられていました。自分は戦争に協力したくないと考え、兵役を拒否するのが、「良心的兵役拒否」です。古代ローマでは、初期のキリスト教信徒の多くが、兵役を拒否したために処刑されたそうです。国が決めたことより、〝殺してはいけない〟というキリスト教の教えのほうが大事だと、判断したのですね。
※7
『ガーンディー自叙伝2』田中敏雄訳注、平凡社東洋文庫 122頁
※8
「無抵抗主義の教訓」(『内村鑑三全集』12巻、岩波書店)172頁をわたしなりにかみ砕いて書きました。
※9
たとえば「キリスト伝研究(ガリラヤの道)」(『内村鑑三全集』27巻、岩波書店)363頁などです。
※10
「非戦論の原理」(『内村鑑三全集』16巻、岩波書店)19頁