東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
丸子
丸子(まりこ)宿は静かな山あいにあり、一里塚跡・本陣跡を過ぎて丸子橋を渡る。その手前には、広重の絵にもある、とろろ汁で有名な丁子屋。宇津ノ谷峠手前の集落は静かなたたずまいで、厄除けの十団子と秀吉の陣羽織を展示した御羽織屋があり、道は黙阿弥作『蔦紅葉宇都谷峠』の舞台宇津ノ谷峠へ続く。旅籠の数24。日本橋から179.9km。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
岡部
岡部は丸子(まりこ)に続く山あいの小さな宿場で、現在の町役場周辺が中心。岡部には西行と西行を慕ってここまで来て没した弟子西住の話があり、西行笠かけ松や西行坐像が安置される専称寺がある。また、光泰寺には柳宗悦が絶賛した木喰上人作の聖徳太子像がある。現在は玉露の産地として有名。旅籠の数27。日本橋から187.7km。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
藤枝
藤枝は約2kmにわたる長い宿場で、広重に描かれた問屋場のように塩商人たちが行き交う交通の要衝として栄え、現在も長い商店街が続く。中ほどに、家康を助けた伊勢白子の小川孫三が住んだことで諸役御免となった白子町跡の由来碑がある。街道名物の「瀬戸の染飯」はクチナシで染めたこわ飯。旅籠の数37。日本橋から194.5km。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
島田
島田は「越すに越されぬ」と歌われた難所の大井川を控えた宿場で、川留めともなれば宿場は大盛況となり、庶民は「川どめに碁ばんの外はつぼをかり」と賭博でもするしかなかった。600人以上いた川越人足の詰め所などは、大井川手前に大井川川越遺跡として保存され、往時をしのぶことができる。旅籠の数48。日本橋から203.1km。
◆その他のミニ知識はこちら!【東海道五十三次】