東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
白須賀
駿河国と遠江国の境に位置する宿場で、江戸へ向かう旅人が初めて富士を見るところでもある。国道から外れ、ひっそりとした古い家並みを残している。潮見坂の頂上からは広重が描いた構図と同じ景色が見られる。本陣跡・脇本陣跡を過ぎると、道の両側には火防樹のマキが植えられている。旅籠の数38。日本橋から275.5km。
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二川
三河国に入って最初の宿場で、現在は静かな旧道の中に往時の面影をとどめている。一里塚跡を過ぎると紫陽花塚のある妙泉寺。さらに進むと豊橋市二川宿本陣資料館がある。本陣を改修復元した建物から、当時の本陣の様子をうかがえ、高札場なども復元され、背後には資料館も併設されている。旅籠の数38。日本橋から281.2km。
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吉田
吉田宿は現在の豊橋市の中心にあたり、かつての面影はほとんどないが、ところどころに高札場跡、問屋場跡、本陣跡などの標柱がある。吉田城跡は現在豊橋公園として整備され、曲尺手門跡は史跡となり、宿の入り口でもあった。豊橋を渡り一里塚跡あたりには松並木が残っている。旅籠の数65。日本橋から287.3km。
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御油
広重の『東海道五十三次』では留め女が客引きをしているように、当時はにぎわった御油(ごゆ)も、明治になって鉄道や国道の建設から外れ、それだけに当時の面影を残している。本陣跡のほか、約600mにわたる御油の松並木は国指定の天然記念物で、新御油橋のたもとには御油松並木資料館もある。旅籠の数62。日本橋から297.5km。
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