東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
赤坂
御油(ごゆ)の松林を抜けるとすぐに赤坂宿で、その間約1.7kmと五十三次で一番の短距離である。宿の入り口関川神社には「夏の月御油より出でて赤坂や」の句碑がある。伊藤本陣跡の隣には、江戸時代から営業の旅籠・大橋屋があり、のぞいてみれば弥次・喜多の時代へタイムスリップする感じ。旅籠の数62。日本橋から299.2km。
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藤川
宿の入り口には、広重の絵を再現した「是より西藤川宿」の棒鼻(宿駅はずれの杭)が復元されている。常夜灯を過ぎると、家康ゆかりの片目の不動尊がある明星院、本陣跡・脇本陣跡。脇本陣跡は、宿場の関連資料などを展示した無人の藤川宿資料館になっている。その先に西の棒鼻が復元されている。旅籠の数36。日本橋から308.0km。
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岡崎
徳川家康の生誕地。家康の本拠岡崎城の城下町で町中家康一色である。城下町特有の曲がりくねった「二十七曲がり」と呼ばれるかぎ型道路が現在も残り、本陣跡の碑もある。岡崎は八丁みその産地で、矢作川周辺にはみそ蔵が続く。矢作川たもとには日吉丸(秀吉)と蜂須賀小六の「出会之像」もある。旅籠の数112。日本橋から314.6km。
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池鯉鮒
池鯉鮒(ちりゅう)は三河特産の木綿の集散地で、その木綿を運ぶための馬市が開かれていた。今に残る知立松並木あたりで馬市が開かれたと考えられ、馬市之跡の碑が建ち、宿場内には問屋場跡や本陣跡の碑がある。付近に在原業平がかきつばたの歌を詠んだといわれる三河八幡がある。旅籠の数35。日本橋から329.5km。
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