2010年夏、窃盗の容疑をかけられて収容されていたカルロスに会うべく、私たちは刑務担当の役所の許可を得て、面会のために北拘置所へと向かった。それはカルロスがいたテントのある場所から地下鉄とバスを乗り継いで、1時間ほどの所にある。盆地に築かれたメキシコシティの北側、斜面にスラムが広がる山の麓辺り。広大な公園のように緑が多い場所に、それは建っていた。

「北拘置所」があるメキシコシティの北の端。盆地を囲む山の斜面に沿って、スラムが上へ上へと広がっている 写真:篠田有史
唯一の面会者
役所で説明を受けた規則に従い、私と篠田は、囚人たちが着ているベージュ系以外の色の服、この時は、ブルージーンズに青っぽいTシャツなどを着て、北拘置所の入り口に立った。入り口前には遊園地のゲートのように列を作るためのバーが設置されており、そこを通過して回転ドアを入ると、建物の中に荷物検査を受けるための列があった。並んでいる訪問者は大抵、囚人たちの家族だ。皆、タッパーに入れた手料理や飲み物が主な持ち物で、それらを検査台に載せて中身のチェックを受けてから、先へと進む。カメラやレコーダーは持ち込めないので、私たちはほとんど手ぶら。検査をクリアすると、手の甲に検査済みの蛍光スタンプが押され、さらに続く屋内通路を歩く。やがて視界が開け、明るい日差しが注ぐ屋外通路に出た。
ほかの訪問者たちはそのまま通路をまっすぐ囚人たちのいるスペースへ向かうが、私たち2人は、左手にある建物へ行くよう、指示されていた。玄関を入ると受付窓口があり、面会相手の申告を促される。役人にカルロスのフルネームを告げると、リストで名前を確認したうえで奥の部屋へと案内され、少し待つよう指示された。
何分か経ったところで、私たちの前にベージュのシャツとズボン姿のカルロスが、現れた。路上にいる時にはあまり見たことがない、爽やかな表情をしている。挨拶代わりに抱擁すると、路上では反応がぎこちない感じだったのに、ここではためらいなく抱き返す。思ったよりも元気そうなのを見て安堵しながら、私たちは用意された椅子に腰掛け、さっそく、なぜこんなところへ来る羽目になったのかを、本人の口から聞くことにした。
「ほかの奴が通行人のスニーカーをひったくって走ってたんだけど、途中で警察に見つかり、慌ててボクに盗品を渡して逃げたんだ。で、警察は、誰か逮捕しなきゃ手柄にならないから、ボクを捕まえたのさ」
カルロスは、さもありなんという顔をする。それにしても、ひったくり程度で何カ月も収容されるなんて。納得できない私たちに、「メキシコシティの法律が変わって、今は窃盗でも1年やそこらは入れられるし、ボクのように保釈金を払ってくれる家族がいないと、そのまま2年間は居続けることになるんだ」と、説明する。そもそもメキシコでは、裁判がほとんどまともに行われないため、無実の人間まで長々と拘置所に収容されることが常態化している。
「同じ頃に入った別の仲間は、家族が保釈金を払って、すぐに出て行ったよ」
そう話すカルロスの顔に、ふと淋しさが浮かぶ。私は思わず、
「仲間は面会に来てくれたの?」
と問いかけてみるが、路上青年は一言、
「いや、誰も来ない」
と、うつむく。「路上の大家族」には、きっとかすかな期待を抱いていたことだろう。

路上でカルロスが最後に暮らしていた場所。大通り沿いの広場を占拠して作られたテントには、老若男女、50人ほどの路上生活者が出入りしていた。2015年 撮影:篠田有史
私はさりげなく、拘置所を出たら、また路上の仲間たちの所へ戻るのではなく、別の生き方を考えたらどうか、と勧めてみた。今の状況を逆にチャンスと捉えて、人生を変えることに挑むのだ。
するとカルロスの口からは、予想に反し、肯定的な答えが返ってきた。
「そうだね。それも考えてる。路上の仲間は本当の家族のような存在じゃないってことは、わかってるんだ。だって、この何カ月もの間にボクに会いに来てくれたのは、キミたちだけだからね。結局は、そういうことなんだ。路上にいる間は、助け合うために皆一緒にいるけれど、それが必ずしも真のつながりになってるわけじゃない。だからここを出たら、何でもいい、仕事を手に入れて、ちゃんと自立して生きていけるようになりたい。そのために、ここでもいろんな仕事を学ぼうと思う」
カルロスによれば、拘置所内には工房があり、木彫りを教えてもらえるのだという。そうして手に職をつけ、模範囚と認められれば、面会に来る人たち相手に自分の作品を販売し、お金を稼いで、拘置所内の店でモノを買うこともできるらしい。
30分ほどの面会時間が過ぎ、係員が、そろそろ別れの挨拶をするよう、促しに来た。私たちは、また会いに来るからと約束し、別れの抱擁を交わす。カルロスは、そのままドアの方へ歩いたかと思うと、最後にちらりとこちらを振り返った。
「今日は、会いに来てくれてありがとう」