ここに1枚の写真がある。メキシコシティの中心にある大きな公園の西の端、「ソリ」と呼ばれるプラサ・デ・ラ・ソリダリダー(連帯の広場)にテントを張って生活していた子どもや若者たちの集合写真だ。私たちの顔見知りがずらり、折り重なるように笑顔を浮かべている。中にはアクティーボを吸っている者も。その最後列の左の方、白いTシャツの少年のすぐ後ろでちょこっと横顔を覗かせている少女。それが、オルガだ。

路上の少年少女が集まっていた広場「ソリ」での集合写真。最後列の左の方、白いTシャツの少年のすぐ後ろで、オルガはちょこっと横顔を覗かせていた 撮影:篠田有史
天涯孤独
「母さんは、私を産んだ後、そのまま病院から失踪したの」
17歳のオルガは、その日、篠田が回すビデオカメラを前に、身の上話を始めた。
「別居中だった父さんがそれを知って、迎えにきてくれた。そうして私は何とか居場所を得た。でも……」
父親は、その後、別の女性と暮らしはじめ、オルガはその女性の連れ子と一緒に育てられることになる。継母は、次第にオルガだけに冷たくあたるようになり、時には暴力を振るい、挙句に一度は酷い火傷まで負わせた。耐えかねたオルガは、5歳で家を飛び出し、施設に保護されることになった。
しばらくして、父親恋しさに家に戻るが、継母の虐待は変わらず続き、7歳で再び家出。今度は、路上で出会った少年たちと暮らすようになり、彼女の「ストリートチルドレン人生」が始まった。
もしかすると、それでもまだ父親のもとへ戻りたいという気持ちは持ち続けていたのかもしれない。ところが、数年後、その思いは叶わぬものとなってしまう。父親が事故死したのだ。オルガは、母親や母方の親戚に関する情報をまったく持っておらず、父方の家族とのつながりもなかった。文字通り、天涯孤独となってしまったのだ。
帰る場所を完全に失った少女は、その後の10年間、「ストリートチルドレン」として生きることになる。カルロスと同様、いわゆる「施設」にも何度か入ったことはあったが、そこに長く落ち着くことはなかった。本人は、自分が置かれた状況を、
「仲間と助け合えば生きていけたし、物乞いをすることやアクティーボを使うことも覚えてしまったから、簡単には路上生活から抜け出せなくなった」
と、説明する。
そして、その路上暮らしの間に、その後の人生を決定づける出来事が起きる。
「14歳の時、通りすがりの女性に、住み込みの家政婦として働かないかと、誘われたの」
それはオルガにとって、実に魅力的な提案に思えた。人並みの家で寝起きし、まともな仕事と給金が得られる。そんないい話に乗らない手はない。そう考えたのだ。
そうして彼女が仕事のために住み込んだ家には、少女を性的対象としてしか見ない男たちがいた。
「ある時、セニョーラ(家の女主人)が留守の間に、その息子が男友達を2人連れて帰ってきたの。そして、3人でいきなり私をレイプして……」
恐怖に震えた少女は、仕事のことなどお構いなしで、直ちに路上の仲間たちのもとへと必死で逃げ帰った。だが、それからしばらくして、さらに厳しい現実に直面することに—―。妊娠したのだ。
じわじわと膨らんでいくお腹を見つめながら、オルガはただ仲間と路上に居続けた。周りには、ほかにも仲間との子どもを妊娠している少女がいたので、自分も何とかなる、なるようにしかならないだろうという気がしていた。しかし、妊娠が進むにつれて、体調は不安定になり、体が辛くなったオルガは遂に、何度か世話になったことがあるNGO施設を頼ることにする。ただ、そこは基本的に路上から来た少女のための定住施設で、出産や子育ての環境は整っていないため、一旦、妊婦ばかりを受け入れている別の施設に移り、その後、幼いシングルマザーが子どもと一緒に入れるNGO施設に落ち着いた。16歳の時だ。
「愛される」という感覚
オルガは言う。
「実は最初、産んだら養子に出してしまおうと思ってたの」
妊娠の経緯を考えれば、無理もない。メキシコでは、カトリック信仰が根強いため、中絶はあまり良い目で見られず、大抵の女性はどんな場合でもとりあえずは産もうとする。だが、生まれた子どもを自分で育てるかどうかは、各々の判断となる。
「生まれてきた娘の顔を見た途端、かわいくて手放せなくなった。自分の手で育てたいと思ったの」
オルガは、その腕に抱いている娘の顔へと視線を向けた。彼女は今、11〜18歳でシングルマザーになった少女とその子どもを支えるNGO「カサ・ダヤ(与え、愛す家)」の施設に暮らす、十数人の若すぎる母親たちの1人だ。
そこで再会するまで、私たちは彼女のことをあまりはっきりとは認識していなかった。いつも訪ねている街中の広場、「ソリ」で暮らす少年少女グループにいることは知っていたが、個人的に親しい関係が築かれているメンバーではなかったからだ。

「カサ・ダヤ」に来てまもない頃のオルガ。娘に愛されることを糧に、路上生活を完全に抜け出し、新しい道を歩もうとしていた 撮影:篠田有史