いわゆる「アクティブなマラスメンバー」にもまだ話を聞いていなかったので、その機会を得るためにも、戻ることにした。
車を降りて、ホタが経営する雑貨店の前でしばらく待っていると、死んだ仲間の妻だという女性が現れた。何とそれは、ホタの1つ歳下の妹、シンディ(31歳)だった。彼女は、ホタの店のすぐ隣に、再婚した夫と幼い子ども2人と暮らしている。
「前の夫、ポジョ(スペイン語で鶏の意味のニックネーム)とは17歳の頃に知り合ったんだけど、彼はその頃すでにバトス・ロコスのメンバーだった。私は親とうまく行ってなかったから、ギャングだろうと何だろうと、カッコいい彼と一緒に実家を出られるだけでうれしかったの」
シンディは、ポジョとのなれそめを懐かしげにそう話した。
「それに彼はJHA-JAの支援を受けていて、そのうちスパイス売りを始めたの。自転車にスパイスを積んで、この地域で売り歩いていた。そんなある日、仕事中に道ばたで敵に撃たれて、死んでしまった。私が20歳の時のことよ」
顔の両側に、V.L.のメンバーであることを示すVと Lのタトゥーを入れていたせいで、敵に気づかれ、殺されたのだという。彼女には当時、生後2カ月の息子がいた。
その長男は11歳になり、今は彼女の実家で育てられている。
「息子には、父親とは違う道を歩みなさいと、いつも話しているの」と、シンディ。敵のギャングに殺されるのだけは、みたくないということだろう。
彼女の話を聞いた後、ジェニファーに、さきほどからホタの店の前の通りを行き来しているマラスメンバーらしき少年たちに話を聞けないか、と相談すると、横にいたシンディが、「私が呼んであげるわ」と、1ブロック先を歩いていた少年2人に向かって、口笛を吹いた。と、少年たちは振り返って、こっちへ来いと手を振る彼女のほう、つまり私たちのほうへとやって来る。
「写真は撮らないから、話だけ聞かせてくれない?」
そう言う私に、薬物をやっていたらしくやたらに陽気な2人が、あっさり「いいよ」と応じた。
1人は少し浅黒い肌をし、もう1人は色白。ランニングシャツに7分丈のジーンズを履いたイケメン2人組は、19歳の双子の兄弟だった。
「16歳の時からバトス・ロコスにいるんだ」
2人とも中学は出ているが、それ以降は学校に行っていないという。
「高校は敵の縄張りにあるから、行けなかったのさ」
そう話す少年たちに、この通りで何をしているのかと尋ねると、
「朝5時から夕方5時ごろまで、通りを監視しているんだ」
という答え。随分と早起きの働き者ギャングだ。
この辺りに何人くらいのメンバーがいるのか、という問いには、
「25人くらいかな」
V.L.の下部組織といったところか。そのリーダーはどこにいるのか?
「この近くだよ」
彼らに直接指示を出すリーダーは、すぐ近所にいるらしい。
「正式メンバーになるのに、何か儀式はあるの? 例えば、何秒間か殴られるのに耐えればいいとか」
そんなふうに聞く私に、2人は顔を見合わせて、「そんなの古い習慣だよ。今はもっと簡単、1人殺せばいいんだ」と、ニヤニヤ笑う。もうその「儀式」を終えたのかという質問には、イエスともノーともつかぬ反応。
そこで質問を、「なぜギャングになったの?」に変えてみた。
「この地域にいたら、ほかに選択肢がないからさ」
と、兄弟。では例えば5年後に、自分は何をしていると思うか?
「きっと今と同じことをしているさ……」
その言葉とともに、2人の顔から笑みが消え、瞳の奥に影が宿った。やはり本当は人生を変えたいと思っているのだろうか。私の疑問に、少年たちは少し悲しげな表情でこう答えた。
「気持ちはあっても選択肢がね……。あなたは僕たちに何か仕事をくれますか?」
残念ながら、私には仕事を提供することなどできない。だがジェニファーの知る教会の若者支援センターなど、別の人生の選択肢を提供してくれる場は幾つかある。そうした場所で、職業訓練などに参加してみたいとは思わないかと話を続けると、兄弟はそろって、「ああ、もちろんだよ」と、静かに言った。
双子の兄弟が立ち去った後、一連のやり取りを後ろで眺めていたホタが私に、「選択肢はあるのさ」と話しかけてきた。
「それに気づかずに、ギャングになってしまい、抜けられなくなる。自分もそれを後悔しているよ」
結局は、どんな子どもや若者でも当たり前のように学校へ行き、複数の選択肢の中から自分の将来を選んで行けるような環境がないことが、彼らの目を曇らせ、人生を翻弄(ほんろう)し台無しにしているということだろう。
ギャングの先輩であるホタの言葉をかみ締めながら、私は少年たちが口にした「リーダーはこの近くにいる」というフレーズが気になって、何気なく「彼らのリーダーって、誰か知ってる?」と、ホタに聞いてみた。
すると彼は、ややためらいがちに、だがはっきりとこう言った。
「妹の夫だよ」
え? つまり、シンディの再婚相手もギャングということか!? 息子に「父親と同じ道を行くな」と諭す彼女の意外な現実に、私たちは唖然とした。と同時に、さきほど現役マラスメンバーの双子が、彼女に呼ばれるとすぐに来てくれた真の理由が、わかった。リーダーの妻の呼び出しに、すっ飛んできたのだ。
ジェニファーの話では、シンディの死んだ夫ポジョと現在の夫ソーラ(スペイン語でキツネという意味のニックネーム)は、同じギャング仲間で、ソーラもJHA-JAの支援で「穏やかになったギャング」だという。今はコヨーテ(アメリカへ不法入国したい人々の旅を、有料でサポートする人間)として働いているということだった。だが、どうやらそうではない「別の顔」も持っているらしい。
ランチタイム。午後のバスでテグシガルパへ戻る前に立ち寄ったジェニファーの家で、私たちは1枚の写真をみせてもらった。それは、もう10年以上前、まだポジョやソーラが共にJHA-JAのプログラムに参加していた頃に撮影されたもので、そこにはふたりを含む計15人の若者が写っている。
「向かって一番左端にしゃがんでいるソーラ以外は、皆死んでしまったんです」
と、ジェニファー。唯一の生き残りが、現在のV.L.の地区リーダーというわけか。
「JHA-JAはこの8年余りの間に、30人ほどの若者の葬儀に立ち会いました」
ギャングを離れない限り、若者たちの人生は限りなく短いという事実を、改めて突きつけられる。しかし、そうとわかってはいても簡単には離れられない空気が、このサン・ペドロ・スーラのスラムに生きる若者たちを包み込んでいる。
「ギャングたちは、例えば自分の家族を持つと大抵、暴力を振るう度合いが下がります。でも変わらぬ貧困がフラストレーションを生み出し、犯罪へと引き戻すんです。子どものいる“穏やかになったギャング”によく言われます。“いまの生活じゃ、子どもに飲ませるミルクを買うお金もない。ギャングだったら簡単に手に入るのに”と」
つまり貧困を乗り越えるために、ギャング以外の人生の選択ができる社会になってこそ、若者たちはギャングにも死体にもならずに、本来の人生をまっとうできるということだ。
「だから私はどんなに先が見えなくても、JHA-JAの活動をあきらめる訳にはいかないのです」
軍を使って活動拠点を奪うなどの政府の嫌がらせや予算不足のせいで、活動が縮小しているJHA-JA。その若きリーダーは、これからも闘い続ける執念をそう語った。
2日後、メキシコに戻った私たちは、しばらくして、リクエストされた「サッカー・ホンジュラス代表の10番のユニフォーム」(安いコピー商品だが)を手に、アンドレス(18歳)に会いに出かけた。
「ラテンギャング・ストーリー」12 異なる選択肢
(ジャーナリスト)
2015/12/28