2019年10月、木澤寛治さん(31)と友人の鈴木耕生さん(37)は、数年の準備期間を経て、若者たちの労働者協同組合「北摂ワーカーズ」(正式には任意団体)を、本格的に始動した。普通に企業へ就職することも、個人で起業することも欲しない若者たちの、新たな働き方への挑戦を取材した。
不幸しか待っていない社会
2019年6月、私はある会合で木澤寛治さんに初めて会った。「生活の『ちょっと困った』 私たちにお任せください」。そう書かれたチラシを手に、木澤さんは労働者協同組合の形式で若者たちが働く場をつくる話を聞かせてくれた。
「とりあえず、組合員一人ひとりが月10万円くらい稼げれば生活は成り立つと思う」
そう語る木澤さんは、配送や引っ越し、庭木の剪定など、生活のなかのさまざまな便利仕事を引き受け、仲間と分担しながら働いていた。企業に雇われて働くのではなく、地域の人とのつながりのなかから自分たちで仕事をつくり出す。木澤さんは、なぜそのような働き方にたどり着いたのか。
「僕は15歳で高校を中退して、大工である父親の仕事の手伝いなどをしていました。父親の“ひとり親方” という仕事のスタイルからは影響を受けたと思います」
中学の先輩が経営する外壁塗装の会社でも働いたが、その仕事のあり方は自営の大工とは異なっていた。元請け会社に気を遣いながら仕事をしなければならない「下請け」のしんどさを知ったという。高校中退だった木澤さんは、下請けとして働くなかで学歴社会の現実を目の当たりにし、高校の勉強をし直して大学へ進学する。
「大学で入ったサークルでは、仮設住宅でのコミュニティづくりを支援しながら、反原発の立場から原発での被曝労働の問題にも取り組もうとしていました。その活動を通して、(原発を含む)建設業界の重層的な下請け構造を明るみに出し、変えていきたいと思っていました」
後に北摂ワーカーズをともに立ち上げた鈴木耕生さんとは、そのサークルで出会った。鈴木さんは、高校を卒業してから2年間カナダへ行った後、帰国して大学に入った。海外の貧困問題や国内の社会運動などに関わるうちに、豊かだと言われる日本が抱える問題に気づいたという。
「今の日本では、若者の多くが非正規で働いていると言われています。僕たちの世代は、保障も何もないまま、ただ社会に放り出されているんです」
2人はそんな日本社会を、「不幸しか待っていない社会」と表現する。若者は孤立しており、生活のためにとりあえず採用された会社に入って過重労働や人間関係に悩まされるか、非正規やアルバイトの最低限の収入で消費を抑えて暮らすかという、追い込まれた状態の人が多数派ではないか、と話す。
少しでも社会を変えるための影響力を持つにはどうすればいいのか。サークルでの活動に限界を感じながら模索するうちに、「自分たちが好ましいと思う仕事のあり方を具現化し、実際に自分たちで仕事をつくり出していく方がいいのではないか」と、木澤さんは考えるようになった。
木澤さんに、労働者協同組合という働き方や事業のあり方にたどり着くヒントを与えたのは、NPO「関西仕事づくりセンター(以後、センター)」だ。センターは、リーマンショックが起きた2008年に、仕事の紹介や職業訓練などを行う組織として、複数の労働組合などが協力して設立された。設立に関わった組織とつながりのある個人・会社などからポスティングや引っ越し作業、農作業などの仕事を受注して、それを労働組合の組合員や野宿労働者らに紹介する「仕事づくり」の活動を通して、相互扶助を軸とする地域社会を築こうとしていた。
センターから単発の仕事を請け負っていた木澤さんは「こういうやり方もあるのか」と気づき、自身の人脈を生かして、必要としている人に安定的に仕事を提供する活動を自ら行うようになる。そうした活動を事業化して立ち上げたのが、北摂ワーカーズだ。