初めて「カサ・ダヤ」を訪れた日、オルガは、2階建ての施設建物の前にある広い芝生に両足を投げ出して、生後数カ月の小さな娘を膝の上であやしていた。私たちが近づいていくと、不意に、
「私、あなたたちのこと、知ってるわよ」
と、声をかけてきた。私はその顔をまじまじと見つめたが、名前が出てこず、本人が「オルガよ」と言うのを聞いて、やっと思い出す始末だった。少女はその様子を見て、「覚えてなくても無理ないわ。あまり話したことなかったから」と言うと、
「それでね、この子は、アナベレンっていうの。かわいいでしょ?」
と、娘を高く抱き上げてみせた。
それにしても、オルガが望まない妊娠の末に産んだ娘を自分で育てたいと思ったことに、私は少なからず驚いた。しかもほんの15、6歳での決断。まだ子どもじゃないか。もし自分が彼女の立場だったら、産み育てようと考えたかどうか……。
私のそんな疑問に答えるかのように、「カサ・ダヤ」の心理カウンセラーが、こんな話をしてくれた。
「子どもは成長するまで、母親を必要とし、無条件に愛します。その愛は時に、愛情に恵まれなかった少女たちを救います」
つまり、天涯孤独のオルガにとって、娘アナベレンこそが唯一の肉親であり、無条件に自分を愛してくれる人。「愛される」という感覚を直に教えてくれる存在だというのだ。
施設で共同生活を送るほかの幼い母親たちも、それぞれに、自分の子どもに救われている面があるという。それというのも、悲しいことに彼女たちのほとんどは、路上や家庭で虐待や養育放棄を経験しながら育ち、真に「愛される」という感覚を知らないまま、生きてきたからだ。母親への愛情を自然に示し、その愛を求める子どもがそばにいることが、そんな少女たちに新たな生きる意味を与えていた。

食堂での食事時間。大勢の母子に混じって、オルガも母親の眼差しで、アナベレンにスプーンで一口ずつ食べさせる 撮影:篠田有史
「普通の生活」
とはいえ、子ども時代にいわゆる「親子関係」を実感として知ることなく、しかも「路上」で育ち、予期せぬ形で親になった少女にとって、施設での生活は困難の連続だった。
「カサ・ダヤ」には、オルガのように路上から来た少女もいれば、スラムにある自分の実家で、あるいは家政婦に出された奉公先で性的虐待を受けて妊娠し、この施設にたどり着いた少女もいた。その中でも、路上出身の母親たちのほうが、施設生活により多くの問題を抱えていることは、傍目にも明らかだった。オルガはその典型だ。
施設では、全員そろって朝5時に起床し、6時に朝礼を行い、その後で朝食をとる。それから各自、子どもの世話をしながら決められた家事当番をこなしたり、学校に行ったり、仕事に出たりする。つまり、普通の家庭のように、決まった時間割に沿って1日を過ごすわけだ。ところが、オルガには、それがなかなかできなかった。路上生活には、生活のリズムと呼べるようなものはないからだ。朝起きるところからすでに苦労が始まり、普通の生活リズムと習慣を最低限身につけるまでには、1年近くかかった。
それ以上に問題だったのは、子育てだ。路上にいる仲間の間にも、子どもと共に暮らしている少女たちはいたが、それは「路上流子育て」で、普通の家庭でのそれとはかなり違っていた。子どもを愛してはいても、はたから見れば「本当に子どものこと、ちゃんと考えているの?!」と思うような乱暴な接し方を、平気でした。言うことを聞かないと、すぐに手を上げるし、汚い言葉で罵る。少年たちに交じり、危険と隣り合わせの路上生活を生き抜くことに慣れてしまった母親たちは、赤ん坊とてサバイバルを体得するのが当たり前、とでも思っているかのようだった。
オルガは、例えば施設の食堂の掃除当番の際にも、幼いアナベレンを目の前の高いテーブルの上にちょんとのせて、モップがけをしていた。
「危ないから、ソファに移動させたほうがいいわよ」
と声をかけても、「大丈夫」と気にも留めない。寝室の掃除をする時も然り。柵も何もないベッドの上にポンと放置した娘が、落ちてしまいそうなほどベッドの端のほうまで這ってきても、放ったらかし。夜中に泣いても、時に無視する。見兼ねたほかの少女が抱き上げ、あやし始めることも、しばしば。子どもを心配して手を差し伸べるのは、いつも決まって路上育ちではない「貧困家庭から来た」少女たちだった。

オルガが食堂の掃除当番の日。娘アナベレンは、食べ物や花瓶と一緒に、テーブルの上に載せられていた 撮影:篠田有史
問題を起こすたびに、オルガは施設スタッフと口論になった。本人には「悪気がない」分、反論したくなるのも無理はない。以前のオルガなら、そうしたトラブルが起きれば、きっとすぐに施設を飛び出していただろう。だが、娘と新しい人生を生きていくという決意のためか、この時は施設での生活を簡単には諦めなかった。