貨幣数量説は貨幣を野菜と同じような「モノ」と捉え「物価水準は貨幣の流通量に比例する」と考える。たとえば、貨幣供給量(マネーサプライ)が2倍になるとその価値は半分になるため、1万円で買えた商品が2万円出さないと買えなくなる。物価は貨幣の価値とは反対の動きをする「価格」であり、貨幣供給量が増えると貨幣の価値が下がり、物価が上昇してインフレに、反対に貨幣供給量が減ると貨幣の価値が上昇、物価が下がるデフレとなる。
この考え方に基づけば、貨幣の価値が上昇しすぎてデフレになった場合には、野菜の価格を下げるために緊急輸入が行われるのと同じように、中央銀行が貨幣供給量を増やせばよいことになる。反対にインフレになったら、貨幣供給量を減らすことで、物価を下げることができるというわけだ。
20世紀の初めまでは、多くの中央銀行で貨幣数量説に基づいた金融政策が展開されていたが、1929年の株価大暴落に始まった深刻なデフレ不況(世界大恐慌)が状況を一変させた。不安心理の高まりから人も企業もお金をため込んだことから貨幣の価値が急上昇、モノが売れなくなり景気が急降下してしまう。中央銀行は貨幣数量説に従って、貨幣供給量を急増させたが貨幣価値は一向に下がらず、デフレは収まらなかった。緊急輸入された野菜はすぐに売り切れ、価格が全く下がらなかったのだ。
その理由の解明に挑んだのが、イギリスの経済学者J.M.ケインズであった。ケインズは貨幣が通常の商品とは異なる特徴を持っていると考えた。野菜の場合、需要がほぼ一定であり長期保存できないため、供給量の増加は即座に価格の低下をもたらす。ところが、貨幣は取引に使われるだけではなく、すぐに使える資産(流動資産)としての役割を持っている。そのため、企業や人が将来に不安を抱くと、お金を使わなくなり、貨幣への需要(流動性選好)が高まる。野菜と異なり、貨幣は腐ることはなく貯蔵も簡単なため、供給量をいくら増やしてもため込まれるだけ、貨幣価値は下がらず物価も上がらなかった。ケインズはこうした状況を「流動性のわな」と呼び、貨幣数量説を否定したのだった。
では、どうすればいいのか。ケインズは物価を上げるためには、貨幣供給量を増やすだけではなく、「使う」ことが必要だと考えた。しかし、人や企業はお金を使おうとしない。そこで政府が代わりとなって、大規模な財政支出を行うべきだと主張したのであった。
ケインズによって否定された貨幣数量説だが、1970年代に先進国を襲った激しいインフレを、各国中央銀行が貨幣供給量を絞ることで収束させたことから復権、日本銀行も貨幣数量説に重きを置いた金融政策を採るようになった。90年代のバブル崩壊以降に発生したデフレに対しても、貨幣数量説に基づいて貨幣供給量を増やしてきた日本銀行だったが、今回は十分な効果を上げられずにいた。
そこに登場した安倍晋三新政権は、ケインズの考えに回帰、「国土強靭化計画」などの大規模な財政支出という「お金を使う」政策を打ち出す。日銀も貨幣供給量を一気に2倍にすると同時に、不動産の裏付けのあるREIT(不動産投資信託)や株式の裏付けのあるETF(上場投資信託)など、事実上の資産購入も拡大、自らもお金を使い始めたのだった。
「貨幣」と「野菜」は同じモノなのか? 賛否入り混じる貨幣数量説、経済学上の論争は続いている。