
母親たちとスタッフの会議。オルガ(左)がスタッフ(右端)に向かって、何やら反論を始めた 撮影:篠田有史
それに、施設生活の中で見出された才能もあった。リーダーシップと指導力だ。
「カサ・ダヤ」では、その頃、少女たちに「人権ワークショップ」の指導役になる訓練を行っていた。訓練を受けた少女は、地域の小学校に派遣され、子どもたちに人権について教えるワークショップを開く。オルガは、その指導役として活躍していた。以前は人を指導する役割などには関心がない様子だった彼女が、実に堂々と生き生きとした表情で、てきぱきとワークショップを運営する様子に、私たちは少なからず感動を覚えた。
「オルガ、あなた、とてもいい(学校の)先生になれるわ!」
私が興奮気味にそう伝えると、彼女は、
「ありがとう」
と、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
実は、路上生活を送っていた頃にも、一時的にだが何度か施設に入って小学校の勉強をしたことのあるオルガは、落ち着いたら勉強を再開したいと考えていた。それが叶えば、彼女はきっともっといろいろな才能を発揮するに違いない。私は心底、そう思った。
生きること
一歩ずつ前に進んでいるオルガの姿は、まだ路上にいる子どもたちとは明らかに違う、未来への希望を感じさせた。それはおそらく、愛する娘と共に、今までとは違う人生を生きていくと決意したからこそ、生まれた光だろう。
「路上にいる時は、死が怖いなんて思ったことはなかった。だって、路上で私の面倒を見てくれた年上の仲間は、ほとんど皆、死んでしまったから。(薬物の影響下で)フラフラと道を横切り、自分から車にはねられた子もいたし、私もいつ死んでもおかしくないと思ってた」
かつての自分の心境をそう語ったオルガは、それが大きく変わったと感じていた。
「今は死ねない。死にたくない。娘を置いて、あの世になんて行けないわ」
娘の誕生と「親子での生活」が、自分は誰からも愛されない、ゴミ同然の存在だと考えていた路上少女に、命の尊さと、自身の存在意義を教えた。
「とにかくここカサ・ダヤでがんばるわ。娘のため、そして何より自分自身のために」
その言葉は、彼女が「ストリートチルドレン」と呼ばれる人生をほぼ抜け出したことを示唆していた。少なくとも私には、そう思えた。私たちがよく知る路上の友人たちの間には、彼女が抱いているような、自分が誰かに愛されているという感覚も、自分のために何かをすることに価値を見出す意識も、見当たらないからだ。
自らの意思で何かに懸命に取り組み、生きることにこだわれるのは、すばらしい。生きることに積極的な意味を見出せない子どもたちに囲まれていた当時の私にとって、オルガは希望の星になっていった。

午後のひととき。自分のベットの上で、ノートに何かを綴るオルガ。そばには娘の姿があった 撮影:篠田有史