ダビは、1973年、スラムに暮らす宝石加工職人の家庭に、末っ子の長男として生まれた。上に姉が2人いる。賢かった少年は、同い年の子どもたちよりも1年早く、5歳で小学校に入学し、10歳で卒業。そのまま地元中学へ進学する。ところがその中学校で、悪魔が仕掛けた罠にハマってしまう。
「周りには薬物が溢れていて、どうにも逃れようがなかった」
仲良くなった生徒は、皆、12〜13歳なのにビールを飲み、薬物をやっては盛り上がる日々を送っていた。彼らとつるんでいれば、当然、同じ世界に足を踏み入れることになった。それでも、時々は、父親の工房で宝石の加工を手伝っていた。その作業が好きだったからだ。だが、その父親も酒好きで、ダビ少年にとって、まっとうな道へ引き返すための手本にはならなかった。
「それにボクにとっては、薬物をやるのも友達付き合いの一部にすぎなかった。まさかそれで薬物依存が進んで、どんどん問題が増えていくなんて、思いもしなかったんだ」
本人の予測とは裏腹に、事態は退学へとつながり、慌てて別の学校へ転入することでかろうじて中学は卒業したが、人生はすでに大きく狂い始めていた。
家族は、そんな末っ子を案じて、専門医に診てもらうことにする。
ダビは言う。
「ある日、酒と薬物のやりすぎで、自分でもまったく訳のわからない言動を取り始めた。そのうえ、父さんに頼まれていた仕事をやらずに放り出してしまったんだ。それで遂に、医者へ連れて行かれた」
中学入学以降、破滅へ向かって進んでいたダビの人生は、14歳から20歳までの間、「滅茶苦茶」になってしまう。家族の指示に応じて、精神科医や心理カウンセラーにも診てもらったが、薬物を長く使わないでいる間に感じる焦燥感は、自分ではどうにもならないものだった。
「1人でいると、不安で仕方がなかった。はた目には普通に見えても、ボク自身はもう、自分の心臓が突如止まってしまうのではないかとすら、感じていた」
そして、20歳になった頃、同じ問題を抱える友人と連れ立って、依存症患者で構成される「回復のためのコミュニティ」に入って生活する決意をする。薬物から隔離された空間で、仲間と語り合い、個人セラピーやグループセラピーを繰り返すことで、依存状態から抜け出そうと考えたのだ。そのおかげで、3週間、薬物を使わずに過ごすことができた。
「ところが3週間目に、コミュニティの生活の場から外へ出ると、仲間が1人、目の前でマリファナを吸っているのに出くわした。ボクはつい、少しだけ吸わせてもらったために、そこからまたやめられなくなってしまった。薬物はほんの少しでも使ったら、また振り出しに戻ってしまうんだ」
それから8カ月間、ダビの薬物依存は続いてしまう。
「失明寸前までいった。それでやむなく、また依存症克服のためのリハビリセンターへ逆戻りした。そうして1994年11月15日、やっとやめることができたんだ」
ダビ、21歳。人生の再出発の瞬間だった。

高速道路の高架下にある隙間をねぐらにしている少女らを訪ねるダビ(左) 撮影:篠田有史
ストリートエデュケーターになる
依存症を乗り越えたダビは、宝石加工を手がける父親の手伝いを通じて親しんでいた、芸術関係の勉強をしようと考える。そこで、劇場や店舗などのインテリアデザインを学ぶために、国立芸術院へ通うことにした。ストリートエデュケーターになる者は、大抵、教育学や心理学、社会福祉学を学んでいるので、これは異色の学歴だ。
3年で芸術院を卒業した頃、当時、メキシコシティの公的機関「家族総合開発システム(DIF)」の仕事をしていた社会福祉士の姉から、路上生活者へのアンケート調査の手伝いを頼まれる。調査自体にはさほど関心を持てなかったダビは、同じ社会福祉関係の仕事として、依存症克服のためのリハビリセンターで、版画教室を開くことにした。それをきっかけに、かつて自分を苦しめたのと同じ問題と向き合う人々の支えとなる仕事に、関わるようになっていく。
まずは、「依存症予防プロモーター」としての訓練を受けて、学校やスラムのクリニックなどで、依存症予防のワークショップを実施してまわることになった。
「ある時、ワークショップの現場へ依存症の人の家族が相談に来たので、その人の家へ出向いて、自分の体験に基づく克服方法を話したんだ。すると、その話がとても役に立つというので、依存症患者のための支援センターの依頼で、学校などでも薬物の危険性について話したりする仕事を、4年間、続けることになった。それはボクにとって、支援のスキルを身につけるのと同時に、自己回復の過程でもあったんだ」
そう振り返るダビは、仕事を通して、人前で話したり情報をまとめた資料を作ったりする経験を重ねることで、社会福祉関係の仕事に携わる準備をしていった。その過程で、偶然、「ストリートエデュケーター」を必要としている人たちと出会う。
「最初に勤めたNGOでの路上活動は、正直、好きになれなかった。夜、暗い道端で子どもたちを相手に、悲惨な話ばかりする役回りだったので、自分には無理だと思ったんだ。でも、その1年後に、カサ・アリアンサで働く友人のパーティに出た際、そこに来ていたジョンたちに、カサ・アリアンサでストリートエデュケーターをやらないか、と誘われたんだよ」
あのジョンをはじめとする「カサ・アリアンサ・メヒコ」の仲間たちが誘ったのは、「1週間のストリートエデュケーター・ボランティア」だった。
そして、そのボランティア活動の最後に、当時の路上活動チームのコーディネーターが発した一言が、ダビの運命を決める。
「あなた、ストリートエデュケーターに向いてるわ!」
かつての自分と同じ薬物依存などの問題を抱える子どもたちとの関係の築き方の巧みさが、大いに買われたのだ。
「こうして、ボクは2002年3月5日、カサ・アリアンサのストリートエデュケーターになった」
ダビは、彼が「天職」を見つけた日を、年月日まではっきりと覚えていた。