「夜は気味が悪くないですか?」
と尋ねる私に、フロリサさんが、
「大丈夫ですよ」
と、微笑む。
「死者は生者と違って、静かに見守っているだけですから」
横にある同じような小屋には、フロリサさんの一番上の兄(45歳)が住んでいる。そのすぐ横に茂る大きなマンゴーの木の上には、長姉のセシルさん(43歳)が子ども二人、つまりジュリアンたちのいとこと暮らす「ツリーハウス」がある。墓地でなければ、ちょっとおしゃれな感じ。セシルさんの別れた夫が釘や木板などを買ってきて、廃材と組み合わせて建てたという。次兄(41歳)と次姉(36歳)も、少し離れた場所だが、この墓地内にマイホームを持つ。まさに一族郎党が、結集している。
「2003年からここに住んでいるんですよ」
フロリサさんが、簡単な英語でいろいろと教えてくれる。
話に耳を傾けながら、この奇妙な墓地暮らしを続ける一家のことが気になり始め、マニラに滞在していた数週間、時々彼らを訪ねるようになった。この一家は、なぜこんな所で生活することを選んだのか。どんな毎日を送っているのか。ジュリアンやジュネルは7、8歳からここにいることになるが、その前はどんな暮らしをしていたのか。知りたいことは、山ほどある。
いつ訪れても印象的だったのは、子どもたちの元気さだ。大きさや作り、向きの違う墓石をジャングルジムのようによじ登ったり、飛びおりたり、墓石の上を走り回ったりしている。あるいは、そこにペタリと座り込み、誰かが廃材で作ったミニチュア版のビリヤードをしたり、歩いて30分ほどのところにあるマニラ湾で小さなヤドカリをとってきて「ヤドカリレース」をしたりと、彼らは何でも遊びに変える。そうやって一日中、和気あいあいと、貧乏で苦しいはずの毎日を、独自のスタイルで楽しんでいる。
ある日の夕方、私たちは日本の遊びを教えようと、腕相撲を始めた。すると、ジュリアンの同級生やいとこたちをはじめ、近所の子どもたちがどんどん集まってきた。フロリサさんとセシルさんも興味津々で参加する。
「これをテーブルにしたらどう?」
と、フロリサさんが「マイホーム」の入り口にドア代わりに立ててある縦横50センチほどの板を外して、食器洗い用のバケツをひっくり返し、その上に乗せる。そこに肘をついて、腕相撲をしようというわけだ。フロリサさんとジュリアンやジュネル、セシルさんやその息子(ジュリアンたちと仲のいい13歳の従兄)、周辺に住んでいる子どもたちが参加して、十数人の腕力自慢が始まる。
年長の少年たちとお母ちゃん軍団の戦いは、いい勝負で、娘たちが母親を応援し、大いに盛り上がる。ジュリアンの友だち、少女たちの中にも、上等な筋肉の持ち主がいて、勝負を挑む同じ年頃の少年たちがヒイヒイ悲鳴を上げる。急ごしらえのテーブルを囲んで始まった腕相撲大会は、空が薄暗くなり、近くの電線に勝手に線をつないで付けた裸電球に明かりがともる頃まで続いた。
夜になると、どこの「家」でも電線から盗電して、電球やテレビをつける。テレビは中古品を買ったり拾ったりして手に入れる。ジュリアンたちも、寝る前はいつもテレビドラマを観る。墓地の夜の過ごし方は、大半のフィリピン人家庭とさほど変わらない。
子どもたちの一日
数日後、お昼前に訪ねてみると、ジュリアンとジュネルが学校の制服を着て、出かける準備をしていた。フィリピンの公立小学校は午前と午後の2部制で、彼らは午後の部に登録されているので、これから登校だ。食事はしたのか尋ねると、「イエス」と言うように、ジュリアンが眉をちらりと上げてみせる。フロリサさんが、
「朝と昼、一緒なんですよ」
と、どこか申し訳なさそうに笑う。どうやらお金がないために、起床してから登校前まで食事を我慢しておき、正午前に皆で「その日の1食目」を口にしているようだ。夕飯は?と聞くと、フロリサさんが伏し目がちに、こう言った。
「お米が買えるときは、夜も食べます」
彼女は、マイホームにしている墓を含め、周囲にある計七つの墓の掃除などをして、一つにつき、毎月100ペソ(約200円)の「管理費」を、墓の持ち主からもらっている。計700ペソ。それが一家の唯一の固定収入だ。それにしても、自分の家族の墓の上に住みついてしまった人たちに管理費まで払うとは、フィリピン人は何とおおらかなことか。ただ、月700ペソでは一家5人食べてはいけないため、母親と子どもたちはそれぞれ、ペットボトルを集めてリサイクルショップに売ったり、近所の人の洗濯物を引き受けたり、水汲みを手伝ったりと、何かしら小遣い稼ぎをしている。それでも買える食料は限られている。
翌日、前日よりも少しだけ早い時間に訪れると、今度は下の二人、カルロとクラリスがまだ食事をしていた。家の前の墓石の上にしゃがみこんで、そこに置かれたプラスチックの皿に盛られた白いご飯に、インスタントラーメンをのせて食べる。ラーメンは1袋日本円で20円くらいで買えるうえ、旨味の効いた味つけがされているため、「おかず」だ。一緒に食べると、米粒がバラバラで味のない安物ご飯が、それなりに美味しくなる。
食事は、フロリサさんが家の前にブリキの角缶の側面をくり抜いて作った「コンロ」を置き、木の枝や木片をくべて火をおこして、調理する。墓地で生活する人の家の前にはどこも、そうしたささやかな調理場が作られ、昼前後や夕方になるとあちらこちらで、底が真っ黒になったアルミ鍋でご飯を炊く姿が見られる。周辺にある木々の枝や近くの市場に落ちている廃材を拾ってきて、火種にする。衛生的とは到底言えない台所で作られる食事だが、子どもたちにとっては、親が用意してくれる大事な食べ物だ。皆、黙々と口へ運ぶ。
料理に使う水は、墓地内にある井戸から無料で汲める。が、それをバケツで家の前まで運ぶのは、一仕事だ。どこの家でも大抵、一番力のある男性がその役割を担う。ジュリアンたちの家では、隣に住む伯父がバケツ二つを天秤棒にさげて担ぐ。運ばれた水は、家の前に据えられたドラム缶に溜めて、料理はもちろん、一度沸騰させて飲み水に、そのまま洗濯や水浴びにも使われる。
ジュリアンはこの日、すでに食事を済ませて、制服に着替える前に水浴びをしていた。青空の下、墓石を囲む高めの塀の陰に隠れ、胸から下にタオルを巻いて、ドラム缶からバケツに汲んだ水をプラスチック容器ですくってかけ、体を洗う。年頃になったら人目が気になり、大変だろう。
私の心配をよそに、少女は手際よく水浴びを終えて制服を身につけ、リュックを背負った。そして、かわいい天使の像が付いた子どもの墓が並ぶ小道を、友だちと肩を並べて通学していく。
墓地の子どもたちのほとんどが、ジュリアンやジュネルのように、小学校に通っている。経済的事情から、彼ら同様に1~2年遅れて入る子や、中退してしまう子もいるが、一度は入学している場合が多い。義務教育なので学費は無料だが、制服や文具はチャイルドホープのようなNGOに提供してもらったり、知り合いからもらったりしている。親たちは小学校も出ていない人が多いため、子どもには最低限の教育を受けさせようとしているようだ。
しかし、中等・高等教育を受けて教師になったとか、医者になったとか、稼ぎで立派な家を建てたとかいう大人が周囲にいないため、目標となる具体例がない。だから子どもたちが抱く将来像も、どうしても狭くなる。できるだけ早く何かしらの仕事をするほうが家族のためになる、と考えがちだ。お金を使って学校に行き続けることでお腹を満たしてはくれない知識を得るよりも、早くお金を稼いで自分で雑貨店を開くとか、乗り合いタクシーのオーナーになるとか、身近に手本のある仕事を始めることのほうが、ずっといいことのように思っているようだ。
そして、成長して家庭を築き、墓地生活を続ける。誰かが悪循環を断ち切る前例を作らなければ、子どもの目に映る未来は、現在この墓地にある暮らしとさほど変わらない。
できることなら、ジュリアンたちには違う人生を見つけてほしい……。それが、私の心に最初に浮かんだ思いだった。